【山岸半残宛書簡 (Yamagishi Hanzan ate shokan) Letter to Yamagishi Hanzan】日本‐江戸時代‐松尾芭蕉

【山岸半残宛書簡 (Yamagishi Hanzan ate shokan) Letter to Yamagishi Hanzan】日本‐江戸時代‐松尾芭蕉

「山岸半残宛書簡」は、日本の俳諧の巨匠である松尾芭蕉による作品です。この作品は、俳人であり旅人でもあった芭蕉が、一人の友人である山岸半残に宛てた手紙を題材にしたものです。

この作品は、1685年(貞享2年)に書かれた手紙を掛け軸として制作されており、和紙に墨を用いて描かれています。手紙自体が芭蕉が当時の心境や旅の途中での思いを記したものであり、その手紙全体が一つの芸術作品として捉えられています。

この手紙は、芭蕉の独特な文体と哲学を反映しており、その中には自然や人生に対する彼の深い洞察が含まれています。彼の旅の風景や心情、詩的な観察が繊細な筆致で表現されており、彼の文学的な才能と観察力を示す重要な作品の一つです。

松尾芭蕉は17世紀の日本で名高い歩行俳人で、他のどの俳人よりも、季語を含む17音の連歌の形式である俳諧(今日では俳句と呼ばれるもの)の評価を高め、人気を広めるのに貢献しました。連歌の最初の句(hokkuと呼ばれました)は、それぞれ5-7-5の音を持つ3行で構成されていました。芭蕉や彼の多くの弟子、そして後世の無数のフォロワーたちがこの詩形を実践し、日本の詩作に機知とユーモアを注入し、文学的な才能を持つ者に詩作を試みる機会を提供しました。

この手紙は芭蕉によって筆され、その弟子で親しい信者となった山岸半残(1654年-1726年)へ送られました。半残は十左衛門という名前で、芭蕉自身が生まれた場所である現在の三重県伊賀上野の侍の家系に生まれました。半残は伊賀からの芭蕉学派の主要な詩人として一定の名声を得ました。芭蕉の個人的な手紙は数多く残されており、ほとんどは弟子たちが詩を評価してほしいと依頼したものです(以下のような場合もあります)。芭蕉の手紙は通常、緩やかで非公式な手紙体で、即興的な印象を与えます。通常、弟子への手紙では、hokkuが記される場所に余分なスペースがあり、それが視覚的に目立つように配慮されています(ここでは手紙の中央より少し右側に配置されています)。これは半残の詩に対する芭蕉のコメントを含む箇所です。

「禰宜独 人は桜の まばら哉」

神職独り
人は桜の
まばら哉

神職独り──
ほとんど人がいないので
散りばめられた桜の中で。

【山岸半残宛書簡 (Yamagishi Hanzan ate shokan) Letter to Yamagishi Hanzan】日本‐江戸時代‐松尾芭蕉
【山岸半残宛書簡 (Yamagishi Hanzan ate shokan) Letter to Yamagishi Hanzan】日本‐江戸時代‐松尾芭蕉

画像出所:メトロポリタン美術館

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