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【アンリ四世の凱旋(The Triumph of Henry IV)】ルーベンスーメトロポリタン美術館所蔵
- 2025/7/6
- 07・バロック・ロココ美術, 2◆西洋美術史
- ピーター・パウル・ルーベンス, フランドル, ルーベンス, 画家
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ルーベンスの作品《アンリ四世の凱旋》──栄光と古代ローマの理想を再構成した英雄譚
17世紀フランドルを代表する画家ピーテル・パウル・ルーベンスは、華麗で力強いバロック絵画を通じて、宗教的・歴史的・神話的主題を劇的に描き出しました。その巨匠の筆により、1630年頃に描かれた油彩スケッチ《アンリ四世の凱旋》は、ルーベンスがかつて取り組んだ「アンリ4世と王妃マリー・ド・メディチの連作」の構想において、歴史的かつ政治的意義を込めた重要な一作です。メトロポリタン美術館に所蔵されているこの作品は、ローマ皇帝の凱旋パレードを想起させるダイナミックな構図を通じて、フランス王アンリ4世の勝利と威厳を象徴的に描き出します。
背景:メディチ・サイクルとアンリ4世の連作
ルーベンスは1622年、フランス王アンリ4世の寡婦であるマリー・ド・メディチの依頼を受け、パリのリュクサンブール宮殿の東西両ギャラリーを、王妃と王の人生を描く連作で装飾する大規模なプロジェクトに着手しました。
まず完成したのは東側のマリー・ド・メディチの生涯を扱う全24点(現在はルーヴル美術館所蔵)で、1624年までに仕上がりました。しかし、アンリ4世の連作は制作が遅れ、1631年にマリーがフランスを追放されると計画は中断され、未完のまま終わりました。
《アンリ四世の凱旋》は、そのアンリ4世連作のための油彩スケッチ4点のうちの最後の一枚で、王の勝利と威信を凝縮した傑作として構想の最高潮を象徴しています。
古代ローマの凱旋イメージ
この作品は、1594年にアンリ4世がパリへ進軍した際の実際の行進を、あえて古代ローマの凱旋パレードに重ねて描くスタイルを取っています。契約書(1622年)にも「ローマ人の凱旋の方式に則って」あることが明記されており、その意図が明確に示されています。
馬に乗り、凱旋門を背景に王が堂々と歩みを進める構図は、まさに栄光の象徴です。背景には勝利の門が再現され、フリースのような横長構図で図像を連続的に配置することで、パレードの臨場感が強調されています。
英雄アンリ4世の描写
アンリ4世は軍服または古代装束のような容姿で描かれ、勝利の証としてヤシの枝(平和と勝利のシンボル)を携えています。彼の堂々たる姿は傍らの馬とともに画面中心に据えられ、視覚的な重心として強い存在感を放ちます。
この作品は連作の「クライマックス」に位置付けられており、“勝利の神話”を秩序立てて見せる構成的な機能を担っています。連作の中で重要な場面――すなわち王の勝利、王妃への譲位、戦争、子女への継承――などを象徴的に総括する位置づけです。
また、古代ローマの芸術様式(ローマ凱旋式)への明確な参照を通じて、単なる歴史描写にとどまらず「政治的メッセージ」や「国王の正当性」といった意味を帯びています。
制作のプロセスとスケッチ群
ルーベンスはアンリ4世連作に対して、大型カンヴァス作品を直接描く前に、設計図のような「油彩スケッチ」(オイル・スケッチ)を複数点制作しました。
1627–28年:馬上の王を現代風の行進として描いた最初の草案。
1628年初頭(ロンドン滞在期):凱旋式に近づけ、戦勝品や捕虜を伴う構図へ。
1630年初頭(バイヨンのスケッチなど):観衆や建築的要素(凱旋門)が加わり図像がより豊かに。
最終スケッチ(ニューヨーク スケッチ):構図が完成形に近づき、凱旋門・人物配置が精緻化。
これらはアトリエにおいてクライアント(王妃マリー)や宮廷関係者に提案するための「提案資料」及び「自己チェックの場」として機能したと考えられています。
政治的・芸術的背景
1620年代後半、ルーベンスは外交官・政治家としても多忙を極め、スペイン・イギリス・フランス間を行き来していました。その期間中もこの連作の構想を練り、制作を続けていたことが、スケッチ群からうかがえます。
しかし、フランス国内の政治情勢、特にルイ13世とリシュリュー枢機卿との関係悪化やマリー・ド・メディチの失脚により、アンリ4世の連作は未完のまま終焉を迎えました。ルーベンス自身にとってもこの計画の未完成は大きな挫折だったといわれています。
古典主義とバロックの融合
ルーベンスはイタリア滞在中に古代ローマやルネサンス絵画(特にマンテーニャの《カエサルの凱旋》など)に触れ、その影響を強く受けました。このスケッチにも、その古典の教科書を引用する要素が見られ、「造形の荘厳さ」と「バロック的な動勢」が高度に融合されています。
本作の芸術的魅力と意味
テンションとダイナミックさ
4点目のスケッチである本作は、「活力」の爆発とも言える筆遣いと構成が特徴です。馬や人が入り乱れる群像、曲線と対角線を駆使したリズミカルなドラマは、ローマ凱旋への敬意とルーベンス独自のエネルギーを見事に統合しています。
観る者へのメッセージ性
絵を眺める者は、権威と勝利を目撃し、それを政治的に「触れる」ような臨場感を得ます。ルーベンスは古代のイメージを引用することで、フランス王の正当性と栄光を絵画の中で神話化しようとしたのです。
歴史の証言として
本作は、1622年の契約に基づいて制作された「未完の神話作品」として、後世にとって貴重な資料です。ローマ風凱旋の逸話が彷彿とされる筆致は、バロック絵画と王政政治の関係に鋭い光を当てています。
《アンリ四世の凱旋》は、ルーベンスという巨匠が政治、歴史、芸術を重層的に融合させた「壮麗なるスケッチ」です。大規模連作の一部として構想されながらも未完に終わったその歴史は、バロック芸術の雄大さと脆さを同時に教えてくれます。
古代ローマの象徴性とバロックのダイナミズムが溶け合ったこの作品は、王の勝利を超えて、「権力」「記憶」「芸術」の関係を私たちに問いかけています。画面の中に込められた力と構想――その両者を感じ取ることが、鑑賞時のいちばん豊かな体験となるでしょう。
画像出所:メトロポリタン美術館
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