「玉雕羅漢山子」は中国の清代(1644年から1911年)に作られた作品で、18世紀のものです。ネフライトと呼ばれる玉で作られており、高さ19.5センチ、幅17.2センチ、奥行き6.8センチです。この作品は、玉石を彫り上げて作られたもので、羅漢(らかん)と呼ばれる仏教の聖者を表しています。羅漢は仏教の伝統において悟りを開いた賢者や聖者を指し、彼らは仏教の教えを実践し、その理想的な姿を具現化した存在とされています。この玉彫りの作品は、精巧な彫刻技術と細部への注意深い配慮が特徴で、羅漢が優美に表現されています。玉は中国の美術や工芸品で重要な素材であり、その価値は高く、高貴な存在を象徴する素材として尊ばれています。この作品は、清代の芸術と宗教的な信仰の結びつきを示す重要な例の一つです。羅漢(サンスクリット語ではアラハット)は、悟りを開いた仏教の聖者です。中国では、16体、18体、500体の羅漢が信仰の対象とされ、絵画や装飾芸術でよく描かれていました。この彫刻には、美しく彫られた銘文があり、その内容はこの羅漢を16体の一部である第8番目のカナカとして識別し、乾隆皇帝が宮殿の祭壇用に16体の像を作る際にこの彫刻を制作させたことを説明しています。
また、日本の羅漢図についても興味深い作品があります。例えば、日本の伐闍羅弗多羅尊者は、金箔や金泥を最小限に抑え、明度の高い顔料を絹に施すことで生まれる穏やかで澄んだ色彩が特徴です。² 和歌山県立博物館蔵の絵は、岸辺から水に入って川を渡る総勢32名の羅漢たちを描いており、羅漢の衣服や荷物は緻密に描かれ、着色も濃く華麗です。1757年、乾隆帝は杭州の聖音寺を訪れ、宗教画家である貫休(832–912)に帰される16体の羅漢の絵画を見ました。貫休は仏教の聖者を奇抜な表現で描くことで有名でした。乾隆帝はこれらの絵画に魅了され、このような玉彫りの作品を含むさまざまなメディアで応答を依頼しました。この彫刻の姿勢と羽根の扇は、羅漢の一人である「Gopaka」を示唆しています。
画像出所:メトロポリタン美術館
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。