【カトゥール・メンデスの娘たち】ルノワール‐メトロポリタン美術館所蔵

カチュール・マンデスの娘たち
転換期のルノワールが描いた三姉妹の沈黙

1888年に制作されたピエール=オーギュスト・ルノワールの《カチュール・マンデスの娘たち――ユゲット、クロディーヌ、エリオンヌ》は、彼の画業の中でもとりわけ評価が分かれる作品であると同時に、その芸術的変貌を最も率直に示す重要作の一つである。一見すると、上流階級の子女を描いた優雅な集団肖像に見えるこの作品は、実際にはルノワール自身が自らの絵画的言語を問い直し、印象派の先にある表現を模索していた過程を鮮明に刻み込んでいる。

モデルとなった三姉妹は、象徴主義詩人で出版者でもあったカチュール・マンデスと、作曲家オーギュスタ・オルメスの間に生まれた娘たちである。文学と音楽が交錯する家庭環境の中で育った彼女たちは、当時のパリ文化圏において特別な存在感を放っていた。マンデス家は芸術家や知識人が集うサロンとしても知られ、ルノワールがこの家族と親交を結んだことは、ごく自然な成り行きだったと言える。

しかし、この作品が単なる社交的肖像にとどまらない理由は、制作された時期にある。1880年代後半、ルノワールは印象派的な即興性と光の分割表現に限界を感じ、イングレスやラファエロに代表される古典絵画への再接近を試みていた。いわゆる「イングレス風の時代」と呼ばれるこの時期、彼は色彩の快楽よりも、線、形態、構成の確かさを重視する方向へと舵を切っていたのである。

《マンデスの娘たち》は、その過渡的な実験の只中で生まれた。横長の画面には、三人の少女がそれぞれ異なる姿勢で配置されている。中央に据えられた長女ユゲットは比較的安定した姿勢を保ち、姉としての落ち着きを感じさせる。一方、左右に配されたクロディーヌとエリオンヌは、身体の向きや視線に微妙な変化を与えられ、画面に緊張と不均衡をもたらしている。三人は互いに近接しながらも、心理的には完全に結びついておらず、その距離感が画面に独特の沈黙を生んでいる。

背景はきわめて抑制され、具体的な室内描写は最小限に留められている。この簡素化は、人物像を際立たせるための意図的な選択であり、同時にルノワールが装飾的背景から距離を取ろうとしていたことの表れでもある。衣装に施されたリボンやレースの描写には、なお彼特有の柔らかさが残るが、それらはもはや画面を支配する要素ではなく、構成の一部として制御されている。

とりわけ議論を呼んできたのが、三姉妹の顔の描写である。そこには、従来のルノワール作品に見られる生き生きとした個性や官能的な温かさが後退し、やや平面的で類型化された印象が漂う。これは技術的な失敗というよりも、意図的な形式化の結果と考えるべきだろう。ルノワールはこの作品において、個々の心理描写よりも、画面全体の秩序と造形的統一を優先したのである。

1888年に本作が公開された際、その反応は冷淡だった。かつて《シャルパンティエ夫人とその子どもたち》で成功を収めた記憶が鮮明だっただけに、批評家や観衆の戸惑いは大きかった。柔らかさを期待していた鑑賞者にとって、この作品は硬質で、どこか不親切に映ったのである。しかしその評価の低さこそが、この絵画の歴史的価値を逆説的に物語っている。

《マンデスの娘たち》は、完成された様式ではなく、問いそのものとして存在する作品である。印象派的快楽と古典的秩序の間で揺れ動くルノワールの内的葛藤が、三人の少女の沈黙した表情に重ね合わされている。この後、彼は肉体表現と色彩をより有機的に結びつけた独自の境地へと向かうが、その前段階として、この作品は不可欠な位置を占めている。

現在、メトロポリタン美術館に所蔵される本作は、ルノワールの多面的な芸術を理解するための重要な鍵である。それは成功作ではないかもしれない。しかし、芸術家が自らの表現を疑い、変化を引き受けた痕跡として、この肖像画は今なお強い緊張と知的刺激を放ち続けている。

画像出所:メトロポリタン美術館

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