
「孤独なる光――髙島野十郎『蝋燭』に見る存在の哲学」
闇を描くことで光を描いた画家、その静寂の炎が語るもの
一本の蝋燭が、ただ静かに燃えている。闇の中に浮かび上がるその炎は、決して劇的ではない。だが、そこに映し出される光と闇のせめぎ合いは、観る者の内奥に深く沈潜していく。髙島野十郎――戦前・戦後を通して孤高を貫いた画家。その名を今日の美術史に刻み込んだのは、他ならぬ「蝋燭」の連作であった。
彼の「蝋燭」は、単なる静物画ではない。むしろ、画家の存在そのものを象徴する「精神の肖像画」といえる。光とは何か、存在とは何か。野十郎はその問いを、一本の炎のなかに封じ込めた。
■ 光を描くという行為
野十郎の芸術を貫く主題は、常に「光」であった。風景、静物、人物――どのモティーフを選んでも、彼の筆は光の在りかを探り続けた。昭和二十三(1948)年以降、戦後の混乱がまだ癒えぬころ、彼は「蝋燭」を集中的に描き始める。構図は徹底して単純だ。暗闇の中央に一本の蝋燭が立ち、炎がわずかに周囲を照らす。それだけである。背景には何もない。机も壁も描かれず、ただ光と闇が向かい合う。
しかし、この極限まで簡略化された画面こそ、野十郎の精神を映す装置だった。絵具を幾層にも重ね、黒を塗り込める。その闇の中から、炎がほのかに立ち上がる。オレンジから黄色、白、そして青白い芯へと移りゆく色彩の階調は、単なる写実ではなく、「存在の息づかい」を描こうとする祈りのようでもある。炎は静止しているようで、実は揺らめき続けている。その「動きを描かない動き」こそが、野十郎の光の哲学の核心である。
■ 孤高の精神と戦後の闇
戦後、世の中が復興と流行に沸き立つなかで、野十郎は千葉県柏の農村に独り籠もり、絵を描き続けた。展覧会への出品を拒み、画壇の栄達を顧みず、貧困のなかで静かに光を見つめる。その姿は、まるで俗世を離れた修行僧のようである。
彼にとって「蝋燭」は、孤独の象徴であり、同時に希望の象徴でもあった。一本の炎は、暗闇に抗いながらも、いつ消えるとも知れぬ儚さを孕む。だがその小さな光は、確かに世界を照らす。野十郎の絵に漂うのは、敗戦を経た人間の不安と、それでもなお生きようとする意志である。
「蝋燭」を描くことは、彼にとって自己の存在を確認する行為であり、世界との対話だった。孤独のなかで燃え続ける一本の炎――それは、彼自身の生のメタファーでもあった。
■ 技法と精神の一致
野十郎の「蝋燭」では、光は単なる現象としてではなく、精神的な現れとして描かれる。絵具の厚み、筆致の抑制、色の沈み。それらはすべて、光を「写す」ためではなく、「感じ取る」ための手段であった。
炎の周囲の空気はわずかに震え、そこに見えない運動が漂う。背景の闇は均質ではなく、奥に向かって微妙に変化していく。そのため、観る者は画面の前に立つと、炎の揺らぎを錯覚する。だが同時に、その炎は現実よりも永遠である。
野十郎は、現実の光を超えた「観念としての光」を描こうとした。それは目に見える世界を超え、心の奥にともる光――精神の灯火であった。
■ 宗教を超えた祈りの絵画
蝋燭というモティーフは、西洋美術においても祈りや殉教を象徴してきた。レンブラントやラ・トゥールの作品が示すように、光と闇の対比は人間存在の根源を問う表現である。野十郎もまた、その系譜を引きながら、独自の宗教性をそこに宿した。
だが彼の蝋燭には、特定の信仰の匂いはない。むしろ、より普遍的な「精神の静けさ」が漂う。孤独の中に身を置きながら、彼は炎を見つめ、そこに生命の儚さと真実を託した。画面から立ち上がるのは、言葉なき祈りであり、沈黙の哲学である。
■ 終わりなき反復の意味
野十郎は、生涯にわたり「蝋燭」を何度も描き続けた。構図はほとんど同じだが、一本一本の炎は異なる。わずかな揺らぎの違いが、存在の無限の変奏を示す。反復は単なる習作ではない。それは、対象の奥に潜む真理へ近づくための瞑想行為であった。
燃え尽きる蝋燭は、やがて闇に帰る。だが絵画の中の炎は、永遠に燃え続ける。そこに「瞬間と永遠」の交錯がある。野十郎の手が生み出した静かな光は、時間を超えて見る者の心に灯り続けるのだ。
■ 現代に生きる「原初の光」
今日、髙島野十郎の「蝋燭」は、近代日本美術の中で特異な輝きを放っている。商業や制度に依らず、純粋な探求を貫いたその姿勢は、むしろ現代的ですらある。
情報と人工的な光に満ちた都市生活の中で、一本の蝋燭の炎は、私たちに「原初の光」を思い出させる。生きることの不安、希望、そして存在そのものの尊さ。野十郎が描いたのは、光の絵であると同時に、人間の魂の絵であった。
その炎は、今なお静かに燃えている。光と闇、生と死、永遠と瞬間。そのあいだで揺らめく一条の光は、私たち自身の内なる対話を映し出している。
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