【マダム・グラン ― ノエル・カトリーヌ・ヴォルレMadame Grand (Noël Catherine Vorlée, 1761–1835)】ヴィジェ=ルブランーメトロポリタン美術館所蔵

【マダム・グラン ― ノエル・カトリーヌ・ヴォルレMadame Grand (Noël Catherine Vorlée, 1761–1835)】ヴィジェ=ルブランーメトロポリタン美術館所蔵

マダム・グラン ― ノエル・カトリーヌ・ヴォルレ

― ヴィジェ=ルブランが描いた「東洋」の幻想と女性の肖像 ―

1783年、パリのサロンに一枚の印象的な肖像画が展示された。そこに描かれていたのは、天を仰ぎ、唇をわずかに開き、まるでその瞬間に歌を口ずさもうとしているかのような、気品と情熱を併せ持った女性の姿である。この作品こそ、フランスの女性画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランによって描かれた《マダム・グラン ― ノエル・カトリーヌ・ヴォルレ》(1783年)である。現在、この絵画はニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されている。

この肖像は、18世紀後半のフランスにおいて女性の美とアイデンティティがいかに表象されたかを知るうえで、極めて重要な作品である。ここでは、描かれた女性マダム・グランの出自と人生、彼女を描いたヴィジェ=ルブランという画家の立ち位置、そして作品に宿る「異国趣味」や感情表現の革新性について、順を追って読み解いていく。

ノエル・カトリーヌ・ヴォルレという人物
肖像のモデルとなったマダム・グラン、すなわちノエル・カトリーヌ・ヴォルレ(1761年–1835年)は、当時のフランス社会においてやや異色の存在であった。彼女は、フランスの植民地であったインドのポンディシェリ近郊で生まれた。父親はフランス人官吏であり、彼女は植民地生まれのヨーロッパ人、いわゆる「クレオール」として育った。

その出自は、18世紀のフランス上流社会において時に魅力的でありながら、同時に好奇と偏見の対象でもあった。美貌に恵まれたカトリーヌは若くしてパリに移り、社交界で注目を集めるようになる。その美しさと物珍しさから、彼女は「ラ・ランドィエンヌ」――つまり「インドの女」というあだ名で呼ばれた。この呼称には、東洋的な魅力への憧れと、それに伴う異質性の強調が込められていた。

後年、彼女はナポレオンの下で外交官・外相を務めたシャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールと結婚し、正式に「マダム・グラン」となったが、この絵画が描かれた時点ではまだその道の途上にあった。

画家ヴィジェ=ルブランと1783年のサロン
この肖像を描いた画家、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755–1842)は、フランス革命前夜の時代にあって、稀有な成功を収めた女性画家である。当時の美術界は圧倒的に男性優位であったが、ヴィジェ=ルブランはその中で貴族や王族からの注文を受け、特にマリー・アントワネットの公式肖像画家として名を馳せた。

1783年は、ヴィジェ=ルブランにとって特別な年である。この年、彼女はフランス王立絵画彫刻アカデミーに女性としてはわずか4人目の会員として迎えられた。そして、同年のサロン(王立アカデミー主催の公式美術展)において、10点の肖像画と3点の歴史画を出展し、画壇での地位を不動のものとした。その出品作のひとつが《マダム・グラン》である。

表現としての革新性:視線と表情
この作品において、観る者が最初に目を奪われるのは、モデルの視線の方向と開いた唇であろう。通常の18世紀肖像画では、モデルは正面あるいはわずかに横を向き、理性的で静謐な表情をたたえている。しかし《マダム・グラン》は、首をやや傾けながら上方を仰ぎ、口元はかすかに開かれている。その表情は、夢想、歌、あるいは感嘆を暗示するようであり、極めて感情的かつ詩的である。

このような演出は、ヴィジェ=ルブランの肖像画にしばしば見られる特徴である。彼女は「自然な感情の表出」にこだわり、硬直した公式肖像ではなく、生き生きとした個人の「瞬間」をとらえようとした。本作でも、マダム・グランの美貌はただ静的に描かれるのではなく、何かに呼応するような動きと感情に満ちており、鑑賞者に強い印象を残す。

「ラ・ランドィエンヌ」― 異国趣味の投影
もうひとつ注目すべきは、マダム・グランの出自に由来する「異国趣味」である。18世紀のヨーロッパでは、オスマン帝国やインド、中国といった「東洋」への関心が高まり、文学、美術、ファッションにおいてもその影響が色濃く現れた。ヴィジェ=ルブラン自身も、自作の中で異国風の衣装や装飾を取り入れることがあり、顧客の希望と時代の趣味を巧みに汲み取っていた。

《マダム・グラン》においても、特段「インド風」の衣装や背景が描かれているわけではないが、その姿勢や視線、さらには当時の人々がこの人物に抱いていた「ラ・ランドィエンヌ」というイメージが、絵画の受容に大きな影響を与えた。つまりこの肖像は、単なる個人の記録ではなく、時代が抱いた「異国の女」への夢や幻想を映し出す鏡でもある。

芸術と政治の交差点
この絵が描かれた1783年は、まさにフランス革命の前夜であり、旧体制の文化と制度が頂点に達しつつあった時代である。マダム・グランはその象徴的存在ともいえる。彼女はフランス植民地に生まれ、社交界に入り、やがてはナポレオン政権下の要人と結婚する。その人生は、まさに18世紀末から19世紀初頭の政治と社会の変動の只中にあった。

一方、ヴィジェ=ルブラン自身も革命によって亡命を余儀なくされ、イタリア、ロシア、オーストリアなどで活動を続けた。つまり、この肖像画は、革命前夜のきらびやかなパリ、女性の自己表現、そしてヨーロッパが抱いた東洋への憧れという複数の要素が交錯する、美術史上きわめて豊かな層を持つ作品なのである。

おわりに:肖像を超えて語るもの
《マダム・グラン ― ノエル・カトリーヌ・ヴォルレ》は、一人の女性の肖像でありながら、それ以上の何かを語りかけてくる。そこには、出自と社会的上昇、異国趣味と美の表象、感情と自己表現、そして女性画家の野心と達成という、数多くのテーマが重なり合っている。

ヴィジェ=ルブランがこの作品を通して描き出したのは、単なる「美しい女性」ではなく、18世紀末という時代そのものの空気である。モデルの瞳が見つめるのは天か、未来か、それとも己の内面か――それは見る者に委ねられている。そしてその問いかけこそが、この肖像画が今なお鑑賞者を惹きつける最大の魅力なのかもしれない。

画像出所:メトロポリタン美術館

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