
「画家の叔父 アントワーヌ=ドミニク=ソヴール・オーベール」——セザンヌの筆が捉えた家族の肖像と絵画の挑戦
1866年の秋、若きポール・セザンヌは母方の叔父アントワーヌ=ドミニク=ソヴール・オーベールをモデルにした肖像画の連作に取り組んでいた。当時、セザンヌは27歳。まだ画壇からは認められず、評価も低かったが、彼は強い信念と絵画への情熱に突き動かされ、独自のスタイルを模索していた。そんな時期に描かれた本作《画家の叔父 アントワーヌ=ドミニク=ソヴール・オーベール》は、単なる家族の肖像にとどまらず、彼の画家としての実験精神と深い人間観察の結晶でもある。
モデルとなった叔父、ドミニク・オーベール
アントワーヌ=ドミニク=ソヴール・オーベールは、セザンヌの母アンヌ=エリザベトの兄にあたり、彼の人生において重要な存在だった。公証人という堅実な職業に就いていたオーベールは、社会的にも教養人として知られ、また、セザンヌ家にとっても精神的な支柱のような存在だったと伝えられている。彼が絵のモデルになることを快諾し、しかも日々異なる衣装を身にまとってポーズを取ることを楽しんでいたという逸話は、彼の気さくな人柄と、甥の芸術への理解の深さを物語っている。
当時の友人の証言によれば、「毎日のように彼の新しい肖像が現れた」とされており、セザンヌは一種の演劇的遊びとして、叔父をさまざまな役に扮させては筆を取っていた。この《画家の叔父》では、オーベールはローブと房飾りの付いた青い帽子を被っている。別の作品《修道士の姿のドミニク・オーベール》(メトロポリタン美術館所蔵、1993.400.1)では修道士の衣装をまとっており、セザンヌは一連の作品でコスチュームとポーズを変えることで、肖像画の持つ演技性や仮装性にアプローチしていたとも考えられる。
荒々しくも誠実な筆致——パレットナイフによる表現
本作でまず目を引くのは、その力強く粗い筆触である。セザンヌは筆ではなく、パレットナイフを用いて絵の具を直接キャンバスに塗りつけている。この技法によって、画面には厚みと物質感が生まれ、いわば彫刻的とも言える「肉付きのある」描写が可能になっている。セザンヌ自身はこれを「gutsy(骨太な、根性のある)」と表現しており、そこには当時の彼の熱意や絵画への格闘がにじみ出ている。
このパレットナイフによる技法は、印象派の軽やかで流動的な筆致とは対照的である。セザンヌは、光の移ろいではなく、物の存在感と構造に迫ろうとしていた。ざらついたキャンバス地に大胆に塗られた絵の具は、人物の顔や衣服に厚みと重量感を与え、見る者に強い印象を残す。
背景にはほとんど装飾がなく、モデルの姿が画面中央に孤立するように配置されている。この構図は、肖像画の伝統的な様式を踏襲しつつ、見る者の注意をひたすらモデルに集中させる効果を生んでいる。背景を省略することで、視線は自然とオーベールの表情や衣装、肉体の構造へと導かれる。
肖像を超えた「演技」の場
この作品が興味深いのは、セザンヌが叔父を単なる「本人として」描くのではなく、コスチュームを通じて別の人物、つまり「仮想の存在」として提示している点にある。ローブと青い帽子という出で立ちは、彼を学者や知識人のようにも見せる一方で、どこか芝居がかった印象を与える。まるで劇中の役を演じているかのような姿は、セザンヌの肖像画に対する認識が、写実を超えて何か別の次元を志向していたことを示唆している。
この「演技」と「肖像」の交錯は、のちのセザンヌが追求する「視覚の構造化」ともつながる。すなわち、単に見たままを再現するのではなく、見るという行為そのものを通して、対象の存在を構築し直すこと。それは印象派とは異なる方向からのリアリズムであり、後のキュビスムや抽象表現主義にも通じる革新性の種となった。
家族という主題、私的な空間から普遍性へ
家族を描くという行為には、常に特別な感情が伴う。セザンヌにとって叔父オーベールは身近で親しみのある存在でありながらも、画家としては客観的に「対象」として描かなければならない。この緊張関係は、画面の中に絶妙なバランスをもたらしている。オーベールの表情は一見無表情にも見えるが、その奥にはユーモアと温かさ、さらにはモデルとしての誇りのようなものが感じ取れる。
このような私的な関係性を出発点としながら、セザンヌはこの作品において、肖像画というジャンルに新たな地平を開こうとしていた。特定の人物を描きながらも、その絵が語るのは「人物」という存在そのもの、あるいは人間の「見る・見られる」という関係の本質なのだ。
セザンヌにとっての転換点
1860年代のセザンヌは、まだ印象派の仲間入りもしておらず、世間的には「才能ある変わり者」としか見なされていなかった。だが彼は、世評に流されることなく、自らの内なる絵画観を着実に育てていた。この《画家の叔父》の連作は、技法的にも構成的にも後年のセザンヌのスタイルを先取りしており、彼にとって重要な転換点だったといえる。
さらに、この作品群は、彼が人物をいかに「構造」として捉えていたかを示す好例であり、静物画や風景画における「形の持続性」という考え方とも通じている。セザンヌは人物もまた「物体」として、空間の中にどのように位置づけられるかを常に意識していた。そうした意識が、パレットナイフという「彫刻的」な技法に象徴的に現れているのだ。
終わりに——セザンヌと叔父、芸術と家族
《画家の叔父 アントワーヌ=ドミニク=ソヴール・オーベール》は、一見すると風変わりな家族肖像でありながら、セザンヌという画家の本質に深く触れる作品である。絵の中には、芸術家としての苦闘、家族との信頼関係、そして絵画そのものへの挑戦が練り込まれている。
この作品が今日、メトロポリタン美術館という世界的な美術館に所蔵されていることは、セザンヌの先見性と、それを支えた周囲の人々の理解がいかに貴重であったかを改めて実感させてくれる。叔父オーベールの穏やかなまなざしは、今もなお、キャンバスの向こうから私たちに語りかけている。芸術の真の価値は、時間を超えて静かに語り続けるその「声」にこそ宿るのだろう。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。