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- 09・印象主義・象徴主義美術, 2◆西洋美術史
- 【釣り(Fishing)】エドゥアール・マネーメトロポリタン美術館所蔵

マネの作品《釣り》──恋と伝統の間で揺れる画布
エドゥアール・マネは、19世紀フランス美術の転換点に立った画家であり、写実主義と印象派の架け橋として今日広く知られている。彼の作品は常に時代の通念と対話し、ときには挑発しながら、絵画という表現形式に新たな息吹をもたらしてきた。そんなマネの画業の中で、やや異色に映るのが1862年から63年にかけて描かれた《釣り》である。
この作品は、現在ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されているが、その成立の背景や構図、主題の選び方には、マネ個人の私生活と芸術的野心とが巧みに絡み合っている。特に注目すべきは、この絵画がピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)という17世紀フランドルの巨匠への敬意を込めて描かれた点であり、さらに画面右下に描かれた男女は、マネ自身と後に妻となるシュザンヌ・ルーンホフ(Suzanne Leenhoff)であることが判明している。つまり本作は、ルーベンスの影響を受けた私的な肖像でありながら、同時に公的な伝統に倣った風景画としても成立している、いわば「二重のポートレート」と言える。
本稿では、まず本作品の構図や画題、画風に着目し、続いて当時のマネの私生活や芸術的立ち位置との関連を考察する。さらに、ルーベンスの影響や、当時の恋愛・結婚観とも照らし合わせながら、《釣り》が持つ複層的な意味について読み解いていきたい。
《釣り》は、一見すると穏やかな田園風景の中に人物たちが佇む、伝統的な風景画に見える。画面には広がる草地、林、そして釣りを楽しむ人物たちが配されており、その右下には特に目を引くカップルが座っている。男は黒い服と大きな帽子を身にまとい、ややこちらを見やるような視線を向けており、女は控えめに視線を外している。その表情は静かで、親密で、しかしどこか謎めいている。
この男女こそ、マネ自身とシュザンヌであるとされている。二人は17世紀風の衣装に身を包み、あたかもルーベンスの代表作《シュテーンの館の公園》に描かれたルーベンス夫妻のように、静謐な自然の中に佇んでいる。この意図的な「模倣」は、単なる敬意の表明にとどまらず、マネ自身の恋愛や結婚を絵画の形式で肯定しようとする、ある種の私的な「宣言」にも見える。
構図そのものも、ルーベンスの作風を下敷きにしている。遠近法に従って奥行きを持たせつつも、画面の右下に視線を集める配置、自然の豊穣さを感じさせる色彩の重ね方、人物と風景との調和といった点が、ルーベンス的伝統に倣っている。しかし一方で、マネらしい平面的な筆触や光の表現も見られ、単なる模倣にはとどまらない個性が垣間見える。
この作品の構想において、マネが明確にルーベンスを意識していたことは、同時代の画家ウジェーヌ・ドラクロワの言葉によって裏づけられている。ドラクロワはかつてマネに対して、「ルーベンスを見よ、ルーベンスから学べ、ルーベンスを写せ。ルーベンスこそ神である」と語ったとされており、その助言をマネが真剣に受け止めた形跡が《釣り》には見て取れる。
ルーベンスは、色彩の豊かさ、構図の躍動感、人物の生命力において、バロック絵画の頂点を極めた画家であった。その作品は祝祭的で、豊穣で、官能的ですらある。その一方で、ルーベンスは自身と家族をモチーフにした作品も多く残しており、特に晩年に描かれた《シュテーンの館の公園》には、私的な幸福と芸術的完成が絶妙に融合している。
マネは、このようなルーベンスの私的肖像と公共性の混合に深く魅了されたに違いない。《釣り》もまた、恋人との関係という私的な主題を、古典的風景画という公的なフォーマットに落とし込むことで、自己の内面と芸術的規範との橋渡しを試みている。
《釣り》が制作された1862年から63年は、マネの私生活において極めて重要な時期であった。彼は長年にわたり、オランダ出身のピアニスト、シュザンヌ・ルーンホフと関係を持っていたが、この関係は家族、とくに厳格な父親には知られていなかった。マネは父の死(1862年9月)を機にようやく関係を公にし、1863年10月に正式に結婚している。
この間に描かれた《釣り》は、形式としては風景画でありながら、実質的には「婚約の肖像画」とも呼べる作品である。マネは、ルーベンス風の構図を借りることで、この愛の正当性や永続性を視覚的に主張しようとしたのではないだろうか。つまり、《釣り》は絵筆によるプロポーズ、あるいは結婚への希望を込めた象徴的なイメージとして理解することができる。
しかも、17世紀風の衣装を用いることで、ふたりの愛が単なる現代的な恋愛ではなく、歴史の中に刻まれた永遠の価値を持つものとして描かれている点も興味深い。衣装の借用は、一種のロールプレイであり、画家とモデルの関係を超えて「芸術的役割」を担わせる行為でもある。
マネの代表作としてよく挙げられる《草上の昼食》(1863年)や《オランピア》(1865年)などと比べると、《釣り》は地味で内省的な作品に映るかもしれない。しかし、この作品にはマネの新古典主義的な素養と、個人的感情の表現とのせめぎ合いが見られ、彼の創作の幅広さを示す重要な一作であることは間違いない。
《釣り》には、「革新者」マネの姿よりも、「伝統と向き合う芸術家」としての一面が色濃く出ている。とりわけルーベンスという巨人に対する畏敬の念と、それを自らの文脈で再構築しようとする試みは、マネの芸術観を深く知るうえで極めて貴重な手がかりとなる。
また、人物と風景の調和、色彩の柔らかさ、光の描写などには、後の印象派への道筋が垣間見える。モネやルノワールといった画家たちが風景画に私的な感情や瞬間の感覚を織り交ぜるようになった流れの萌芽が、すでに《釣り》の中には存在しているのだ。
エドゥアール・マネの《釣り》は、単なる風景画でも、単なる肖像画でもない。そこには恋人への思慕と、父の死によって開かれた新たな人生への扉、さらには巨匠ルーベンスへの美術的オマージュが複雑に織り交ぜられている。静かな風景の中に潜む情熱と、過去の巨匠に倣いながらも独自の道を模索する若き画家の姿。その両方を感じ取ることができるこの作品は、まさにマネ芸術の中の異色にして愛すべき一作である。
風景画というジャンルに、これほどまでに個人の感情を託した作品が他にあるだろうか。マネは《釣り》という一枚の絵画を通して、愛と伝統、そして未来への希望を描き出したのである。そこには、芸術とは何かという根源的な問いへの、マネなりの静かな答えが潜んでいる。7世紀の衣装に身を包み、フランドルの画家ルーベンスと彼の妻が登場するルーベンスの「シュタイン城の公園」(ウィーンの美術史博物館蔵)のようにポーズをとっています。マネは父親にスザンヌとの関係を隠していたため、父親が1862年9月に亡くなる前に制作されたと考えられており、おそらく彼らが1863年10月に結婚する前に制作された、結婚式の肖像画のバリエーションである「釣り」です。
画像出所:メトロポリタン美術館
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