【舞台上のバレエのリハーサル(The Rehearsal of the Ballet Onstage)】エドガー・ドガーメトロポリタン美術館所蔵

【舞台上のバレエのリハーサル(The Rehearsal of the Ballet Onstage)】エドガー・ドガーメトロポリタン美術館所蔵

舞台の裏側にひそむ詩情

華やかなバレエの舞台。その背後に広がるのは、汗と規律に満ちた厳格な稽古の世界です。エドガー・ドガの《舞台上のバレエのリハーサル》(1874年)は、まさにその舞台裏、そして稽古の一瞬を捉えた名作です。パリ・オペラ座の若きダンサーたちが、リハーサル中に見せる何気ない仕草や集中した眼差し。ドガはこの作品において、バレリーナたちの「美」を単に演出の産物としてではなく、緻密な努力の果てにある現実の表情として描き出しました。

この絵は、メトロポリタン美術館が所蔵するもので、1874年に描かれたとされる《舞台上のバレエのリハーサル》のうちの一つです。同様の構図を持つバリエーションが少なくとも三点存在しており、学術的にはいまだにその関係性が完全には解明されていません。それだけに、ドガがこの主題にどれほど執着し、探究していたかを物語っています。

この作品は、観客の目に触れない「舞台稽古」の一瞬を切り取ったものです。背景には舞台装置の一部や照明器具が垣間見え、場面が劇場の一角であることがわかります。しかし、画面には煌びやかさや緊張感はあまり見られず、むしろリラックスした空気が漂っています。ダンサーたちは踊りの最中ではなく、その合間の時間を過ごしており、前景では一人のバレリーナが背中をかいています。その仕草は驚くほど自然で、人間的です。

舞台の袖では女性があくびをし、指導者らしき男性が腕を組んで静かに見守っている様子も描かれています。全体として、観客のための“完成された美”とは異なる、バレエという芸術の“生成の場”が表現されています。

ドガは印象派の一員に数えられながらも、他の画家たちとは一線を画していました。彼の関心は、光の移ろいや風景の明暗よりも、人間の動作や身体性に向けられていました。この作品もまた、徹底した観察と多数の素描に裏打ちされた、構築的な構図によって成り立っています。

実際、ドガはこの作品のほぼすべての登場人物について、事前に入念なデッサンを行っています。前景のバレリーナ、舞台袖であくびをしている女性、足を組んで座る少女たち——これらのポーズはどれも、決して偶然の瞬間ではなく、丹念に観察され、描かれたものです。彼は、動きの“真実らしさ”を追求するために、数多くの素描を重ね、そこから画面全体を構成したのです。

この場面には少なくとも三つのバージョンが存在します。そのうち最大のものは、現在パリのオルセー美術館が所蔵しており、1874年の第1回印象派展に出品されました。その作品はモノクロの「グリザイユ」で描かれており、まるで写真や版画のような質感を持っています。

一方、メトロポリタン美術館には本作と、もう一点のパステル画が収蔵されています。ドガはパステルを用いた表現を得意とし、その軽やかさと即興性によって、より自由な筆致を実現しています。専門家たちの分析によれば、油彩である本作のほうが先に描かれ、パステルの作品はその後により即興的な感覚で仕上げられたと考えられています。

このように、同じ場面に対して異なるアプローチで複数の作品を制作するドガの姿勢は、彼が「繰り返し描く」ことによって芸術の本質を掘り下げようとしたことを示しています。

19世紀後半のパリでは、バレエは上流階級の娯楽であると同時に、若い女性たちが自立の手段として目指す職業でもありました。しかしその実態は、決して華やかではありませんでした。多くのダンサーは経済的に不安定な立場にあり、パトロンを得ることが生計の助けとなる現実もありました。

ドガは、こうした時代背景を単に暴露するのではなく、むしろそこに生きる個々の身体と心を、鋭い眼差しとともに捉えました。彼の描くバレリーナは、夢想的な存在ではなく、現実に生き、働く「人間」として存在しています。前景のバレリーナの背中をかく仕草は、決して美しくはないかもしれませんが、そこにはかえって人間の真実が宿っています。

また、ドガは女性の身体性を観察するにあたり、決して理想化せず、時に冷徹なまでに分析的であったと言われます。その姿勢は今日においてはフェミニズムの観点から批判的に捉えられることもありますが、同時に、彼が描いた女性たちは“見る者の幻想”ではなく、“現実の労働者”として強い存在感を持っています。

この作品の魅力は、静止した画面の中に、時間の流れを感じさせる点にもあります。各人物の仕草は異なり、動きの途中で止まったかのようです。それは、映像のように流れていく時間ではなく、各瞬間が断片的に切り取られ、永遠にそこに存在し続けるような時間の扱いです。

ドガはまた、画面構成においても“動き”を演出しています。画面左下から右上へと緩やかに視線が誘導され、バレリーナたちの視線や身体の向きが、その動線を補強しています。静的なメディアである絵画に、動的なリズムを導入するこの技法は、ドガのバレエ作品に共通する特徴です。

《舞台上のバレエのリハーサル》は、単にバレエを題材にした絵画ではありません。それは、表舞台の背後にひそむ努力と倦怠、規律と自由、静けさと緊張が複雑に交差する「人生の断面」を描いた作品です。ドガはその中に、美と真実を同時に追求しました。

私たちがこの絵を前にしたとき、ただ美しい踊り子たちの姿に見とれるだけでなく、その背後にある無数の物語や、静かに流れる時間を感じ取ることができるでしょう。それこそが、この作品が140年以上を経てもなお、私たちを惹きつけ続ける理由なのです。

画像出所:メトロポリタン美術館

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

プレスリリース

登録されているプレスリリースはございません。

カテゴリー

ページ上部へ戻る