- Home
- 09・印象主義・象徴主義美術, 2◆西洋美術史
- 【ヴェルサイユ】ルノワール‐メトロポリタン美術館所蔵
【ヴェルサイユ】ルノワール‐メトロポリタン美術館所蔵
- 2025/6/23
- 09・印象主義・象徴主義美術, 2◆西洋美術史
- ルノワール
- コメントを書く

Pierre-Auguste Renoir, “Versailles”, 1876, The Metropolitan Museum of Art
《ヴェルサイユ》:ピエール=オーギュスト・ルノワール晩年の風景表現と古典への回帰
ピエール=オーギュスト・ルノワールの晩年に制作されたと考えられている《ヴェルサイユ》は、印象派として名を馳せた画家が、その後の画業で徐々に見せるようになる古典的志向の明確な現れである。この絵画は、フランス・ヴェルサイユ宮殿の北側中庭を描いた秋の風景であり、ルノワールが自然や光の捉え方を柔らかに保ちつつ、より形式的で彫刻的な構成を重視した作風に移行したことを示す貴重な一例である。
本作品の正確な制作年は不詳であるが、美術史家たちは1900年から1905年の間に描かれた可能性が高いとみなしている。この時期、ルノワールはパリ西郊のサン=クルー(Saint-Cloud)に夏の間家を借りていたとされており、ヴェルサイユ宮殿との距離も近かったことから、彼が実際にこの地を訪れ、その景観に触発されて本作を制作したと考えられている。
この頃のルノワールはすでに60歳を超え、リウマチによる身体の痛みに悩まされながらも創作を続けていた。一方で、芸術的には印象主義の「即興性」や「瞬間の印象」から徐々に距離を取り、より安定した構成、永続的な美、古典的なモチーフへの志向を強めていった時期でもある。特に彼は、ラファエロやティツィアーノといったルネサンスの巨匠たちを手本とするようになり、自らの絵画を「時間を超える美」の実現の場とすることを目指していた。
《ヴェルサイユ》における構図は、整然と並ぶ並木道とその奥に見えるヴェルサイユ宮殿北側の中庭、そして複数の彫像から成っている。画面中央を貫く並木道(アレ)は、左右に配された栗の木によって縁取られ、奥行きのある遠近感を生み出している。これらの樹木は秋の季節を反映し、黄金や橙、赤褐色といった温かな色調で彩られており、光と空気に満ちたルノワール独特の色彩感覚が感じられる。
興味深いのは、印象派時代に見られた粗い筆触(タッチ)や強いコントラストがやや抑制されている点である。もちろん、画面全体には依然としてルノワールらしい「柔らかさ」や「親密さ」が漂っているが、同時に画面構成には古典的な安定感があり、彫刻的な量感とバランスへの意識が顕著に見られる。
本作において特筆すべき要素のひとつは、彫刻の描写が際立っていることである。画面には数体の彫像が配されており、それらはヴェルサイユの庭園に設置されている実在の作品を参照していると考えられる。ルノワールはこのような彫像を、単なる風景の一部としてではなく、画面の視覚的な中心あるいは象徴的な存在として取り扱っている。
これは、ルノワールがこの時期から彫刻に対して強い関心を抱くようになったこととも密接に関係している。彼は後年、彫刻家アリスティド・マイヨール(Aristide Maillol)の助手であるリシャール・ギノ(Richard Guino)と共同でいくつかの彫刻作品を制作するようになり、自らの手で彫刻に取り組むことで、「触れることができる美」としての形態表現に強い魅力を見出すようになった。
その意味で、《ヴェルサイユ》に描かれた彫像群は、単に庭園の一部であるという以上に、ルノワールが平面絵画の中に三次元的な存在感を持ち込もうとする試みとも解釈できる。彫像の光と影、質感、そして周囲の風景との対比は、彼の美的探究の深まりを如実に示している。
ルノワールは、印象派の創始者の一人として、1870年代から1880年代にかけて多くの革新的な作品を残してきた。しかし、1880年代後半から次第にそのスタイルに変化が見られるようになり、印象派の「非構築的」なアプローチに限界を感じ始めた彼は、ルネサンス以降の古典絵画に再接近する姿勢を見せるようになる。とりわけ、人体の構造的な描写や安定した構図への志向が強まり、それは女性像や静物画のみならず、風景画にも波及した。
《ヴェルサイユ》はそのような変化を象徴する作品である。画面の中の要素は偶然に任されることなく、慎重に配置され、視線の流れも明確に設計されている。また、光の捉え方にも印象派的な即興性は残るものの、それは一種の「調和」を重視した古典的演出の一部として機能している。
この作品が制作された1900年代初頭は、ルノワールが人生の晩年を迎える前段階にあたる。彼の肉体は病に蝕まれていたが、その創作意欲は衰えることがなかった。彼は自らの芸術に「永遠性」や「普遍性」を求め、時代の流行や市場の要求に左右されることなく、自分が信じる美のかたちを模索し続けた。
《ヴェルサイユ》に描かれた秋の風景は、移ろいやすい自然の美しさを讃えながらも、構図の堅牢さや彫刻の存在によって「時間を超える」要素が強調されている。このバランス感覚こそが、晩年のルノワールが到達した美的境地であり、彼の芸術が単なる印象派的表現を超えて、より本質的な「美」の探求へと昇華していった証左である。
現在、《ヴェルサイユ》はニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されている。同館はルノワールの作品を数多く収蔵しており、本作はその中でも特に彼の晩年の風景表現を伝える重要な一作と位置づけられている。印象派から始まり、古典美への回帰へと向かったルノワールの芸術的旅路を示す貴重な資料として、多くの鑑賞者に新たな視点を提供し続けている。
このように、《ヴェルサイユ》は単なる風景画にとどまらず、ルノワール晩年の思想的・様式的変遷、さらには彼の「美」への信念を体現する作品である。彼が目指したのは、一瞬の感動ではなく、永遠に語り継がれるような美の形式であり、その志向が如実に表れている本作は、ルノワール芸術の成熟を象徴する一点といえるだろう。




画像出所:メトロポリタン美術館
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。