【菊桐紋蒔絵提子 Sake Ewer (Hisage) with Chrysanthemums and Paulownia Crests in】桃山時代

【菊桐紋蒔絵提子 Sake Ewer (Hisage) with Chrysanthemums and Paulownia Crests in】桃山時代

桃山時代の作品である「菊桐紋蒔絵提子」は、黒い地に金の平蒔絵(ひらまきえ)と絵梨地(えなしじ、「梨皮絵」とも呼ばれる)が施された漆塗りの木製品です。提子(さしこ)は、茶道具や日常生活品などに用いられる、取っ手のついた箱や容器のことを指します。

菊桐紋は、菊の花と椿の葉をモチーフにした紋章です。これらのモチーフは日本の伝統的な文化や美意識において重要な位置を占めており、菊は季節の変化を象徴し、椿は日本の美しい自然を表しています。

平蒔絵は、平らな金箔を漆に埋め込んで模様を作る技法であり、絵梨地は、濃い塗り漆の上に薄い金箔を散りばめる技法です。これらの技法を組み合わせることで、豪華で華やかなデザインが生み出されました。黒い地に金の蒔絵と絵梨地が施されることで、対比が引き立ち、高貴で洗練された雰囲気が演出されました。

菊桐紋蒔絵提子は、当時の社会的地位や贅沢な趣味を示すために使用されることがありました。また、これらの美しい作品は、贈り物や贈答品としても用いられました。

このような作品は、日本の美術史や伝統工芸の一部として、桃山時代の芸術や文化の特徴を示す重要な存在です。

甲大寺様式は、桃山時代の漆芸史における最も顕著な発展であり、大胆で大規模な模様、秋草のモチーフ、そして黒い地に金の平蒔絵で描かれた紋章が特徴です。この様式に名前が付けられた寺院の後援と建設は、豊臣秀吉とその妻であるねね(甲大院、1548–1624)と、武将徳川家康(1543–1616)に関連しており、彼らは敵であった秀吉への敬意を込めて1605年に寺院の境内と霊廟の創造を寛大に支援しました。平蒔絵の平らな技法と大規模な繰り返しの模様の適用により、日常の家庭用品に金のデザインを施すことが可能になりました。秀吉はこの様式を用いて自身の政治的な力と権威を表現しました。

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