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【志野橋文茶碗 「神橋」 Shino Teabowl with Bridge and House, known as “Bridge of the Gods” (Shinkyō)】桃山時代
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「志野橋文茶碗」は、日本の桃山時代に作られた陶器であり、特に「神橋」のデザインが描かれた志野焼の一種です。以下にその内容を簡単に説明します。
桃山時代は、日本の歴史的な時期で、紀元16世紀後半から17世紀初頭にかけての時代を指します。この時期は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの武将や戦国大名たちによる戦国時代の終焉から、江戸時代の幕開けまでの時期です。
「志野橋文茶碗」は、志野焼と呼ばれる陶器の一種であり、特に「神橋」と呼ばれるデザインが描かれています。志野焼は美濃焼(美濃陶器、美濃焼き)の一種であり、志野焼の中でも特に志野茶碗は「志野文」として知られる特徴的な文様が施されています。これには、鉄酸化物で描かれたデザインが含まれます。
「神橋」とは、その名の通り神聖な橋を指し、このデザインが茶碗に描かれたことで、その茶碗が特別な意味や趣向を持つものとされました。美濃焼志野茶碗は、釉薬のかかった陶器の表面に鉄酸化物で描かれたデザインが特徴的で、茶の湯の世界においても重要な位置を占めました。
これらの志野橋文茶碗は、当時の美術や陶芸の技術、美意識を伝える貴重な作品であり、日本の歴史的な文化とも深く結びついています。
この志野焼の茶碗は、橋と神社の線状のデザインが施されています。アーチ型の橋は、2本の平行線で描かれ、その柱は4本の垂直な線で示されています。手摺りは、橋の本体から出ている短い線で表現されています。厚い白い釉薬の下に豊かな鉄酸化物を施すことで、霧深い風景の錯覚が生まれています。同様のスタイライズされた構図を持つ一部の志野茶碗は、宇治橋を守護する女神を描いた第45章「橋姫」(はしひめ)に関連付けられるようになりました。この女神は宇治橋を守り、橋の西側にある橋姫神社に祀られています。この茶碗はまた、大阪の住吉神社とも関連付けられることがあります。
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画像出所:メトロポリタン美術館
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