【甲冑(具足) Armor (Gusoku)】江戸時代‐伊達吉村‐早乙女家家忠‐明珍宗賢

【甲冑(具足) Armor (Gusoku)】江戸時代‐伊達吉村‐早乙女家家忠‐明珍宗賢

この甲冑は、江戸時代の武具であり、所有者は仙台藩の大名である伊達吉村(1703年–1746年)です。兜のボウルは16世紀に製作され、早乙女家家忠(さおとめけいえただ)と署名されていると考えられています。一方、甲冑の残りの部分は18世紀に作成されました。胸当てには甲冑師の名前である明珍宗賢(1688年–1735年)が内部に刻まれています。装飾は固い鉄板に凹凸のある模様が施されており、これは明珍流の特徴です。

江戸時代の甲冑(具足)は、日本の武士や戦士が戦闘時に身に着けた防具の一つです。江戸時代は、徳川幕府による平和な時代であり、戦闘の機会が減少したため、甲冑は主に儀式やパレードなどの非戦闘的な用途に使用されました。その結果、甲冑は装飾的で豪華なデザインが施され、美術品としての価値が高まりました。

江戸時代の甲冑は通常、以下の主要な部分で構成されていました:

  1. 兜(かぶと、kabuto): 頭を保護するための兜。異なるスタイルやデザインがあり、大名や武士の階級に応じて異なりました。兜の上部には飾りの大鍬形(おおくわがた)と呼ばれる部分があり、その形状も異なりました。
  2. 胸当て(むねもと、munemoto): 胸を保護するための装甲。これもデザインが多様で、金属板でできていました。装飾や家紋が施されることがよくありました。
  3. 胴当て(どうもて、dōmote): 胴を覆う部分で、腹部や背中を保護しました。一般的には金属製で、紋章や装飾が施されていました。
  4. 具足(ぐそく、gusoku): 上記の部分を含む、全体の甲冑セット。具体的には、兜、胸当て、胴当て、肩当て、腕当て、脚当て、手袋など、全身を覆う装甲を指します。

江戸時代の甲冑は美的価値が高く、金属や革などの素材を用いた高度な工芸品として製作されました。これらの甲冑は、日本の文化や歴史を反映する重要な美術品として、多くの美術館やコレクションで展示されています。

【甲冑(具足) Armor (Gusoku)】江戸時代‐伊達吉村‐早乙女家家忠‐明珍宗賢
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画像出所:メトロポリタン美術館

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