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【花瓶の花束】フィンセント・ファン・ゴッホ‐メトロポリタン美術館所蔵
- 2025/7/1
- 09・印象主義・象徴主義美術, 2◆西洋美術史
- Vincent van Gogh, オランダ, ファン・ゴッホ, 印象派, 画家
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フィンセント・ファン・ゴッホ《花瓶の花束》(1890年制作)──謎に包まれた晩年の静物画
フィンセント・ファン・ゴッホの芸術は、しばしば彼の激動の人生と結びつけて語られる。彼の作品には、心の揺れや自然への没入、そして視覚表現の革新が刻まれており、今日ではポスト印象派を代表する巨匠としてその名を確立している。そんなゴッホの晩年、つまり彼がフランス北部のオーヴェル=シュル=オワーズ(Auvers-sur-Oise)で制作活動を行っていた最後の数ヶ月の間に描かれたと思われる一枚の静物画──それが《花瓶の花束》(Bouquet of Flowers in a Vase)である。
この作品は現在、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されているが、ゴッホの書簡には一切言及がなく、彼の作品群の中でも特に位置づけが難しい一作として研究者の関心を集めてきた。本稿では、この《花瓶の花束》を通して、ゴッホ晩年の絵画世界、様式的変化、そして「静物画」に込められた意味を探っていく。
《花瓶の花束》は1890年、ゴッホが自ら命を絶った年に制作されたとされている。画面中央に据えられた白い磁器の花瓶に、様々な種類の花が無造作に生けられ、背景と床面は装飾的な筆致と色彩で彩られている。
この作品の最大の特徴は、ゴッホの書簡に一切記録されていない点である。ゴッホは生前、弟テオや友人たちに頻繁に手紙を送り、その中で自身の作品や制作意図について詳細に記していた。ところが、この《花瓶の花束》に関する言及は皆無であり、制作場所や時期、モデルに使われた花の種類さえも明確ではない。そのため、この作品は「孤児」として、美術史の中で特異な位置を占めている。
《花瓶の花束》を一目見ると、まず目に飛び込んでくるのは鮮烈な色彩とダイナミックな筆遣いである。青と黄土色(オーカー)を基調とした独特の配色は、パリ時代に見られる明るく軽快な色づかいとも、アルル時代の強烈なコントラストとも異なる趣を持つ。青は冷たく深みを持ち、黄土色は画面に温かさと質感を与えている。
筆致に注目すると、背景や床面に用いられている「煉瓦形のハッチング(brick-shape hatchings)」が特徴的である。この幾何学的でリズミカルな描写は、ゴッホがオーヴェル滞在中に多用した技法であり、同時期の風景画、特に《カラスのいる麦畑》などにも共通する。つまり、この作品がオーヴェル時代の最晩年に制作されたことを裏づける様式的証拠となっている。
《花瓶の花束》には、ゴッホが過去に描いたいくつかの作品とのつながりが見出される。例えば、パリ時代(1886–88)には夏の花をモチーフにした静物画が数多く描かれた。それらは多様な花を豊かな色彩で描いた実験的な作品群であり、ゴッホが印象派の影響を吸収し、自身の色彩感覚を探っていた時期にあたる。本作もその延長線上にあるように見えるが、色彩や筆致はより強靭で構築的である。
また、1889年にアルルで描かれた《ルーラン夫人ゆりかごを揺らす女》(通称《ベルスーズ》)の背景には、装飾的な花模様があしらわれており、画面全体にある種の装飾性が漂う。この「装飾的背景」への関心が、《花瓶の花束》にも反映されていると指摘されている。
さらに、サン=レミ時代に描かれた有名な《アイリス》(Irises, 1890)の中に登場する白い磁器の花瓶は、本作の花瓶と極めてよく似ており、同じ実物を参照していた可能性がある。これらの視覚的な類似は、ゴッホが同じモチーフを時期をまたいで再利用していたこと、そしてそのモチーフに対して一貫した愛着を持っていたことを示唆する。
ゴッホにとって静物画は、単なる写生や装飾ではなかった。彼は植物や花の中に、生と死、希望と絶望の両義的な意味を見出していた。例えば、枯れかけたひまわりには老いと再生のイメージが宿り、花瓶に活けられた花は一時の美を讃えると同時に、それがすぐに終わってしまうことへの悲しみも漂わせる。
《花瓶の花束》もまた、そうした「儚さと美の共存」というテーマを内包しているように見える。花々は生命力に満ちているが、どこか束の間のものであることを感じさせる配置や色調になっている。さらに言えば、この作品がゴッホの死の直前に描かれた可能性があることを考えると、その背後には彼の精神的状況や死生観が投影されているとも考えられる。
1890年5月、ゴッホはパリ郊外のオーヴェル=シュル=オワーズに移り住む。医師ポール・ガシェのもとで療養しながら、彼はわずか70日間の滞在で約70点もの作品を残した。その中には風景画、肖像画、建物など多彩なモチーフが描かれており、彼の創造力が最高潮に達していたことがうかがえる。
《花瓶の花束》はこの時期の作品群の中に加えられると考えられている。特に、構築的な筆致、落ち着いた色彩、装飾性などの要素は、オーヴェル時代のスタイルと見事に合致する。つまり、この静物画はゴッホ晩年の総括的な表現の一環として位置づけることができる。
《花瓶の花束》は、ゴッホの言葉が残されていない分、見る者に対して多くの想像と解釈を促す作品である。その沈黙こそが、絵画そのものの力を浮き彫りにしている。彼が意図的にこの作品について言及しなかったのか、あるいは時間がなかったのかはわからない。しかし、そこには確かにゴッホが見た色と形、そして彼が感じた生命の断片が刻まれている。
現代の私たちは、この《花瓶の花束》を通して、ゴッホというひとりの芸術家が最後に到達した視覚表現の深み、そして言葉を超えた感情のひだを読み取ることができる。そうした意味で、この作品は彼の画業の中でもひときわ静かでありながら、深く心に響く「声なき遺言」であると言えるだろう。
画像出所:メトロポリタン美術館
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