成都市-四川-Chengdu city-Sichuan

成都市-四川-Chengdu city-Sichuan

 成都市(せいとし/チェンドゥし、簡体字: 成都市、拼音: Chéngdū、英語: Chengdu)は、中華人民共和国四川省の省都であり、副省級市。豊かな成都平原の中にあって古くから『天府の国』と呼ばれてきた。唐の時代から蜀錦を産出するため錦城の別称を持ち、また芙蓉の花を市花とするところから蓉城の別称ももつ。
 成都平原の中央にあり、岷江支流の錦水に沿う。西部には龍門山脈が屹立する。中国西南部の要衝である。
 歴史時代においては、三国時代に蜀の都となったほか、4世紀初頭、巴氐の李特が占領して成都王を称し、成漢が建てられた。五代十国時代には前蜀、後蜀の都となった。 唐代に成都は、蜀地方が温暖な地方で水運が開け、隋末の戦乱もなかったため、発展した。特産品としては、養蚕、絹と紙が存在した。絹は上等なものは蜀錦として知られた。また、成都では毎年春に『蚕市』と呼ばれる市が城内各地に立てられ、人々は群がったと伝えられる。紙は品目も多く、質も優良で名産地として知られていた。特に、『薛濤箋』という唐代の妓女の名を冠した紙は有名であった。成都も人口が約50万人いた。その時に揚州と成都は特に発展した商業都市であり、『揚一益二』と言われ、文人たちの楽園として知られていた。 安禄山の攻撃に、玄宗たちは成都へと避難を余儀なくされる。避難の途中で兵士たちにより楊国忠が殺害され、また楊貴妃も玄宗により殺されることとなった。国内が混乱する中の756年、玄宗は皇太子の李亨に位を譲り太上皇となった。安史の乱終結後、長安に戻った玄宗は半軟禁状態となり、762年に崩御した。 宋代に成都の商業が発展し、以後四川あるいは西南中国の中心地となる。明代には四川布政使が駐在し、清代の1654年、四川布政使司が四川省に改称され、正式に四川省が成立した。また明末期の農民反乱軍の首領で大西皇帝を称した張献忠の拠点となったが、張献忠による人口の9割を超えるほどの殺戮と、清初期の抵抗運動や軍の反乱などにより清前半までは荒廃が続いた。以後、約100年をかけて湖北省・湖南省・広東省などから積極的に移民を受け入れ復興させたという。出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E9%83%BD%E5%B8%82

行政区画
成都市は11市轄区・5県級市・4県を管轄する。

名称 中国語 拼音 管轄
錦江区锦江区JinJiang qu市轄区
青羊区青羊区QiangYang qu市轄区
金牛区金牛区JinNiu qu市轄区
武侯区武侯区WuHou qu市轄区
成華区成华区ChenHua qu市轄区
龍泉駅区龙泉驿区LongQuanYi qu市轄区
青白江区青白江区QingBaiJiang qu市轄区
新都区新都区XinDu qu市轄区
温江区温江区WenJang qu市轄区
双流区双流区ShaungLiu qu市轄区
郫都区郫都区PiDu qu市轄区
都江堰市都江堰市DuJiangYan shi県級市
邛崍市邛崃市QiongLai shi県級市
彭州市彭州市PengZhou shi県級市
崇州市崇州市ChongZhou shi県級市
簡陽市簡陽市JianYang shi県級市
金堂県金堂县JinTang xian
大邑県大邑县DaYi xian
蒲江県蒲江县 PuJiang xian
新津県新津县XinJin xian

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