
成都市の市街南部、錦江に架かる。かつて船に乗って東航するときの起点であった。三国時代に蜀の費キ(?~253)が呉に使者として赴くさい、諸葛孔明(181~234)がここまで見送ってくると、費キが「万里の行も此の橋より始まる」といったのにちなみ、「長星橋」から「万里橋」に改名されたとされる。現在は更に改名され「老南門大橋」となっている。
杜甫が成都に滞在中に創った詩の一節の、「窓には含む西嶺千秋の雪、門には泊す東呉万里の船」という下りを連想させる。南京なのか揚州なのか呉の船が、長江から岷江、岷江から錦江の河を遡り成都にまできていたということである。
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