過去の記事一覧
-
豊かな空と雲の下に―黒田清輝《案山子》をめぐって―
澄みわたる秋の空の下、一本の木の棒に衣をまとわせただけの案山子が、ひとり風に揺れている。黒田清輝《案山子》(1920年)は、そんな何気ない光景をとらえた小さな…
-
山の女、光の女―土田麦僊《大原女》にみる美と労働のあわい―
山里から都へと薪を運ぶ女。その姿は、古くから京都人の記憶に刻まれた風景の一部である。大原の女たちは、頭上に束ねた薪を載せ、白い手拭いを頬に掛け、静かに…
-
南の光の中の女 ―土田麦僊《島の女》に見る原像のまなざし―
灼けつく陽光の下、ひとりの女が立っている。海の色は深く、空気は湿りを含みながら透き通っている。彼女の肌は褐色に輝き、巻かれた布が風に揺れる。その姿には…
-
光の都市ヴェネツィア―ターナーが見た幻視の水上風景―
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの《ヴェネツィア―サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会のポーチから》は、単なる風景画ではない。それは、水と光のあいだ…
-
光の詩人、日常の岸辺にて
ターナー《コーンウォール、ソルタッシュの渡し船》をめぐる印象
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの絵画の前に立つとき、私たちはいつも「光」の中へと導かれる。だがそれは単に自…
-
鏡の前の異国 ― アルフレッド・スティーブンス《着物》に見る視線と夢想
アルフレッド・スティーブンスの《着物》(1872年)は、19世紀ヨーロッパにおけるジャポニスムの爛熟を象徴する作品であり、同時にオランダ1…
-
静謐なる舞台 ― アルフレッド・スティーブンス《アトリエにて》に見る女性像の覚醒
光は柔らかく室内に満ちている。絹やビロードの質感をなぞるように反射するその光の中で、数人の女性が穏やかに佇む。壁には額縁が並び、…
-
祝祭のあとに訪れる沈黙
―アルフレッド・スティーブンス《舞踏会のあとで》に寄せて―
舞踏会の灯りが消えた部屋には、まだ香水と音楽の残り香が漂っている。アルフレッド・スティーブンスの《舞踏会のあとで》(18…
-
愛の女神の舞台 ― フランソワ・ブーシェ《ヴィーナスの化粧》にみるロココの夢
絹のように柔らかな肌、微笑を浮かべる女神のまなざし、戯れるプットーたち。フランソワ・ブーシェ《ヴィーナスの化粧》(1751年)は、1…
-
鳩が運ぶ恋の序章― フランソワ・ブーシェ《使者派遣》と18世紀ロココの夢想 ―
フランソワ・ブーシェの《使者派遣》(1765年)を前にすると、まず心をとらえるのは、その絵の中に漂う「物語の始まり」の気配である。…
ピックアップ記事
-
室町時代に作られた「鬼桶水指」は、信楽焼として知られる天然灰釉(しがらきやき)の焼き物です。
…
-
平安時代の「大将軍神像」は、彩色の痕跡が残る木製の像です。
この像は、平安時代に作られたもの…
-
「ガラスオイノコエ」は、紀元前4世紀中期から紀元前3世紀初頭にヘレニスティック時代の古代ギリシャで…
ページ上部へ戻る
Copyright © 【電子版】jin11-美術史 All rights reserved.
最近のコメント