過去の記事一覧
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山口薫《古羅馬の旅》——形と時間の交錯する静寂古典への憧憬と現代へのまなざしのあいだで
1930年代、山口薫は長期にわたる滞欧生活の中で、画家としての根本的転換期を迎える。パリを拠点に、フランス、イタリア、スペイ…
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沈黙する輪郭――福沢一郎《人》(1936)における存在の構築と解体匿名の身体から浮かび上がる〈人間〉の構造
1936年に制作された福沢一郎の《人》は、ただ一語の題名が示す通り、説明を拒む。装飾も物語も削ぎ落とされ…
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静謐の都市を歩く――荻須高徳《モンマルトル裏》に見る「裏」の美学
荻須高徳の《モンマルトル裏》(1940年)は、都市の静けさと人間の気配が織りなす、稀有な緊張を湛えた風景画である。画家はこの小品において、観光地と…
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沈黙の身体――里見勝蔵《女》における存在とまなざしのエチカ
1936年に制作された里見勝蔵の《女》は、その簡潔な題に反して、複雑な時代と美術的文脈を深く抱え込む作品である。「女」という語の単純さは、特定の個人像を…
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静謐の名をもたぬ絵――桂ゆき《作品》1940年にみる沈黙の表現名づけを拒む絵画が示す、曖昧さと抵抗の美学
桂ゆきが1940年に描いた《作品》は、その名の通り、主題を持たない。いや、あえて名を拒んだと言うべきかも…
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見えないものの力 ― 大沢昌助《岩と人》が描く遮断と想像の構図1940年の光景に刻まれた静けさと不安、そのあわいを描く
1940年、戦争の足音が確実に近づきつつあった日本の美術界において、大沢昌助の《岩と人》は異…
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静けさの中の永遠 ― 矢橋六郎《水を飲む女》に見る生命の形象1940年の光と水、そして一人の女性が示した「存在」の肖像
1940年、戦時体制へと急速に傾きつつあった日本で、矢橋六郎は一枚の小さな絵を描いた。《水を…
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「数理の詩学——北脇昇《(A+B)² 意味構造》にみる構造と生命の対話」抽象と自然のあいだにひらかれた「数学が絵になる」瞬間
1940年(昭和15年)、日本の抽象絵画にひとつの特異点が生まれた。北脇昇の《(A+B…
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静寂のなかの抵抗——麻生三郎《とり》に見る“見ること”の倫理戦時下に描かれた一羽の鳥が語る、存在とまなざしの美学
麻生三郎の《とり》(1940年)は、一見すると控えめで、どこにでもいそうな小さな鳥の姿を描いた作…
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沈黙する都市の機構――松本竣介《N駅近く》に見る人間と社会の臨界点匿名化する群衆の中で、個の輪郭を探す
1940年、松本竣介は油彩画《N駅近く》を描いた。戦時色が強まる日本の首都・東京を舞台に、彼は日常的な「駅前…
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