カテゴリー:1◆東洋美術史
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岸田劉生《林檎三個》
静物に宿る形象の真実性と「内面への眼差し」
大正期の劉生と静物画の位置
岸田劉生が《林檎三個》を描いた1917年は、彼の画業においてひとつの転換点であった。前年には代表作《麗子像…
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髙島野十郎の《早春》(福岡県立美術館所蔵)
生命の歓喜と自然との共鳴
序:野十郎の絵画的探求の原点
髙島野十郎(1890年–1975年)は、その孤高の生涯と「光の画家」とも称される独自の表現で知られる…
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髙島野十郎の《イタリヤの海 キオッジア漁村》
昭和初期、髙島野十郎がヨーロッパを遍歴していた時期に描かれたとされる《イタリヤの海 キオッジア漁村》は、彼の画業において特異な位置を占める作品である。野十郎といえば…
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髙島野十郎の《田園太陽》
髙島野十郎の作品を語る際、まず想起されるのは、彼が一貫して自然に対して抱き続けた畏敬と孤高の眼差しである。画壇の動向や流行に与せず、世俗から距離を置き、ただ自らの内的必然に従って自然を…
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髙島野十郎《桃とすもも》
1961年、髙島野十郎が制作した《桃とすもも》は、一見すると果物を題材とした静物画の一作にすぎないように思われる。しかし、そこに漂う緊張感と凝縮された精神性は、単なる写実を超え、鑑賞者…
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髙島野十郎《睡蓮》
絶筆に宿る静謐な宇宙
画家の晩年と制作の背景
髙島野十郎は、その孤高の生き方と一徹な制作態度によって、近代日本洋画史において特異な位置を占める画家である。彼は東京美術学校を卒業後、…
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髙島野十郎
《蝋燭》
光と闇のはざまに立ち上がる精神
孤高の画家とその象徴的モチーフ
髙島野十郎を語るとき、まず想起されるのは一本の蝋燭の絵である。小さな画面の中央に立つただ一本の蝋燭。その周囲…
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髙島野十郎《絡子をかけたる自画像》
精神の画布に刻まれたまなざし
野十郎の自画像とその時代
髙島野十郎(1890–1975)が描いた《絡子をかけたる自画像》は、大正9年(1920年)、彼が29歳の折に…
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前田青邨の《おぼこ》
水族の視線と戦時下の眼差し
水墨における「おぼこ」の題材性
前田青邨(1885–1977)が1944(昭和19)年に描いた《おぼこ》は、画面全体に群泳する小魚を墨の濃淡のみで表現…
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安田靫彦の「小楠公」
時代を映す静謐の英雄像
南北朝時代に醍醐天皇へ忠誠を誓い、父正成とともに戦った楠木正行。その生涯は『太平記』に記録され、後世には忠孝両全の象徴として語り継がれた。安田靫彦が1944(昭…
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