カテゴリー:日本美術
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山の女、光の女―土田麦僊《大原女》にみる美と労働のあわい―
山里から都へと薪を運ぶ女。その姿は、古くから京都人の記憶に刻まれた風景の一部である。大原の女たちは、頭上に束ねた薪を載せ、白い手拭いを頬に掛け、静かに…
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南の光の中の女 ―土田麦僊《島の女》に見る原像のまなざし―
灼けつく陽光の下、ひとりの女が立っている。海の色は深く、空気は湿りを含みながら透き通っている。彼女の肌は褐色に輝き、巻かれた布が風に揺れる。その姿には…
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煤煙の風景――高島野十郎《イーストリバーとウィリアムズブリッジ》に見る都市の陰影ニューヨーク――1930年のその都市は、摩天楼が林立し、文明の最先端として世界にその姿を示していた。しかし、画家・高島野十郎の目に映ったの…
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窓辺のまなざし――髙島野十郎《ノートルダムとモンターニュ通II》に見る静謐と超越
1930年代初頭、戦間期パリ。芸術家たちが集い、サロンとカフェが文化の坩堝となっていたこの都市において、一人の日本人画家はまるでそ…
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沈黙のなかの果実――《洋梨とブドウ》が映す、孤独と存在の光景高島野十郎の静物画にみる、戦時下における凝視の倫理
それは一枚の静物画である。だが、この《洋梨とブドウ》を前にしたとき、観る者はただの「果物」を見ている…
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「ティーポットのある静物」
光と孤独の交響
髙島野十郎が「ティーポットのある静物」を制作したのは、戦後間もない昭和二十年代のことである。本作は、画家が生涯にわたり取り組み続けた静物画の一例であると同時に、…
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髙島野十郎《からすうり》
孤高の画家が描いた自然の凝視と精神の表現
髙島野十郎は、20世紀の日本洋画史においてきわめて特異な位置を占める画家である。彼は、画壇との交流を自ら断ち切り、終生孤独のうちに制作を…
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髙島野十郎
《秋の花々》
光と孤高の静物詩
《秋の花々》は、髙島野十郎が1953年(昭和28年)に描いた静物画である。戦後間もない混乱の只中から少しずつ社会が立ち直りつつあった時期、野十郎は東京を離…
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髙島野十郎の積る
白の奥行と静寂の深み
髙島野十郎(1890–1975)の画業を振り返るとき、まず強調されるのは彼の徹底した孤高の姿勢であろう。画壇に属さず、師弟関係やグループにも加わらず、ただひとり黙々…
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髙島野十郎の《太陽》
燃えさかる光への絶対的凝視
孤高の画家と「太陽」という題材
髙島野十郎は、日本近代美術の中にあってきわめて異質な存在である。画壇との交流をほとんど断ち、売名や栄達には背を向け、た…
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