喬 子一覧
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全体——カンディンスキー晩年の宇宙的調和と生命のリズム分断された時代における「統一」への祈り
ワシリー・カンディンスキーが1940年、フランスで制作した油彩画《全体》は、その題名が暗示するように、彼の長い芸術的…
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港の朝陽——藤島武二、光の果てに見た静謐の詩
1934(昭和9)年、藤島武二が描いた《港の朝陽》は、日本近代洋画史において、画家の晩年を象徴する清澄な到達点である。本作は、題名にある「朝陽」というありふれた自然…
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北脇昇《空港》――静謐なる飛翔の寓意見立ての詩学と、戦時下に漂う無言のシュルレアリスム
1937年、北脇昇が描いた《空港》は、戦時下の日本におけるシュルレアリスムの到達点として、きわめて独自の位置を占める作品であ…
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福沢一郎《二重像》――視線の交錯する場所目撃する者と見られる者、そのあいだに生まれる心理的二重構造
1937年に制作された福沢一郎《二重像》は、戦時体制へと傾斜しつつあった時代の空気の中で生まれた異質な絵画である…
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香月泰男《水鏡》——青の沈黙と映らぬ像満たされた静寂に潜む記憶と不安
1942年、太平洋戦争の渦中に制作された香月泰男の《水鏡》は、外的現実の喧噪とは無縁の、ひとつの沈黙の世界を描き出す。そこにあるのは、壁にかけ…
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山口薫《古羅馬の旅》——形と時間の交錯する静寂古典への憧憬と現代へのまなざしのあいだで
1930年代、山口薫は長期にわたる滞欧生活の中で、画家としての根本的転換期を迎える。パリを拠点に、フランス、イタリア、スペイ…
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沈黙する輪郭――福沢一郎《人》(1936)における存在の構築と解体匿名の身体から浮かび上がる〈人間〉の構造
1936年に制作された福沢一郎の《人》は、ただ一語の題名が示す通り、説明を拒む。装飾も物語も削ぎ落とされ…
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静謐の都市を歩く――荻須高徳《モンマルトル裏》に見る「裏」の美学
荻須高徳の《モンマルトル裏》(1940年)は、都市の静けさと人間の気配が織りなす、稀有な緊張を湛えた風景画である。画家はこの小品において、観光地と…
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沈黙の身体――里見勝蔵《女》における存在とまなざしのエチカ
1936年に制作された里見勝蔵の《女》は、その簡潔な題に反して、複雑な時代と美術的文脈を深く抱え込む作品である。「女」という語の単純さは、特定の個人像を…
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静謐の名をもたぬ絵――桂ゆき《作品》1940年にみる沈黙の表現名づけを拒む絵画が示す、曖昧さと抵抗の美学
桂ゆきが1940年に描いた《作品》は、その名の通り、主題を持たない。いや、あえて名を拒んだと言うべきかも…
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