三星堆遺跡-徳陽市-広漢市-四川

三星堆遺跡-徳陽市-広漢市-四川

三星堆遺跡(さんせいたいいせき)は、長江文明に属する古代中国の遺跡の一つである。1986年に中国の四川省徳陽市広漢市の三星堆で発見された。
紀元前2000年頃もしくはそれ以前と考えられる極めて古い時代に属する三星堆遺跡とその文化は、約5000年前から約3000年前頃に栄えた古蜀文化のものである[1]。 三星堆遺跡自体は、1929年春、当地の農民が溝を掘っていた際に玉器を見つけたことで、1931年にイギリス人牧師である V. H. Donnithorne によって発見されていた[1]。しかし、長く本格的な発掘はなされず、1980~1年に、初めて四川省文物委員会等により本格的な発掘調査が行われて、大規模の住居跡が発見された。以後、発掘が継続して行われ、1985年10月までに、東・西城壁跡が発見されて、本遺跡が古蜀王国の都城跡と見られるようになった。さらに、1986年には本遺跡の上限が約5000年前と見られるようになった。また、各種の貴重な玉器・金器・青銅器等が出土し、以上の成果により、1988年1月、国務院は本遺跡を全国重点文物保護単位に指定した。発掘調査はさらに継続され、1996年秋には日中合同の磁気探査などの科学的調査が行われた。2005年に基本的な発掘調査を終え、現在整理研究中である。以上の発掘調査で、本遺跡は東城壁跡約1100m(ほぼこの延長線上に第二展示館がある)・南城壁跡約180m・西城壁跡約600mが確認され、北を鴨子河とする城壁都市であることが分かった。 三星堆遺跡(三星堆文化)は新石器時代晩期文化に属し、上限を新石器時代晩期(紀元前2800年)とし、下限を殷末周初期(紀元前800年)と、延2000年近く続いた。4期に分かれ、第1期は4800~4000年前で、龍山文化時代(五帝時代)に相当し、石器・陶器のみである。第2・3期は4000~3200年前で、夏・殷時代に相当し、青銅器・玉器が出現し、宗教活動が盛んとなり、都市が建設される。第4期は3200~2800年前で、殷末・周初期に相当し、精美な玉器・青銅器が製作され、大型祭壇・建築が築かれる。遺跡地区は鴨子河南岸に沿って東西5~6000m・南に2~3000mに広がり、総面積約12km2で、全体が保護区となり、城壁跡内を含む重要保護区の面積は6km2である。
三星堆遺跡からは異様な造形が特徴な青銅製の仮面や巨大な人物像が多数出土している。三星堆の遺跡および文物の発見は 3、4千年前の中国の長江文明の古蜀王国の存在と中華文明起源の多元性を有力に証明してくれる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

撮影:jin11 2015年8月25日

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

プレスリリース

登録されているプレスリリースはございません。

カテゴリー

ページ上部へ戻る