【マダム・アンリ=フランソワ・リースネール】ウジェーヌ・ドラクロワーメトロポリタン美術館所蔵
- 2025/9/22
- 2◆西洋美術史
- ウジェーヌ・ドラクロワ, メトロポリタン美術館
- コメントを書く

ドラクロワの作品
《マダム・アンリ=フランソワ・リースネール》
ある女性像に刻まれた時間と記憶
ウジェーヌ・ドラクロワ(1798年–1863年)は、その生涯を通じて数多くの歴史画、宗教画、東方風俗画を描き、ロマン主義の旗手として19世紀フランス美術の一時代を画した。しかし、彼の画業を振り返るとき、肖像画は決して主要なジャンルではなかった。彼が筆を執った人物像の多くは身近な家族や親しい友人たちに限られており、公的な依頼に基づく大規模な肖像画はむしろ稀である。その中にあって1835年に制作された《マダム・アンリ=フランソワ・リースネール》は、画家の親密な人間関係と、肖像というジャンルを通じて表現される感情の深さを物語る、きわめて重要な一点である。
モデルとなったフェリシテ・ロングロワ(1786年–1847年)は、画家にとって義理の叔母にあたり、アンリ=フランソワ・リースネール(ジャン=オノレ・フラゴナールの甥であり、画家としても知られる)の妻であった。若き日の彼女は、皇妃ジョゼフィーヌの侍女を務め、その美貌によってナポレオンの寵愛を一時的に受けたことでも知られる。すなわち彼女の存在は、個人的な親密さのみならず、帝政期フランスの宮廷文化、さらにはナポレオン伝説といった大きな歴史の流れとも接点を持っていたのである。
キャンヴァスに油彩で描かれたこの肖像において、マダム・リースネールはほぼ半身像で描かれ、落ち着いた色調の背景の中に浮かび上がるように配置されている。彼女の顔貌は、過度な美化や理想化を避けつつ、年齢を重ねた女性の表情を誠実に捉えている点が印象的だ。頬や口元には柔らかな肉づきがあり、眼差しには静けさとともにかすかな疲労の影が宿る。しかしその視線は曖昧に逸れることなく、観者に向けられた確かな存在感を示している。
衣服の描写は決して華美ではない。むしろ抑制された色調とシンプルな構成によって、人物の顔貌や眼差しに注意を集中させる効果を生んでいる。ドラクロワはここで、自ら得意とした華麗な色彩の饗宴ではなく、人物の内面を描き出すために筆致を抑制し、光と影の繊細な変化に重きを置いている。彼が装飾的効果よりも「心情の表現」を優先したことが、作品全体に親密なトーンをもたらしているのである。
伝えられるところによれば、かつてマダム・リースネールはその美貌で人々を魅了し、皇帝ナポレオンすらも一時的に惹きつけたという。しかし1835年の時点で彼女はすでに40代後半に差しかかっており、若き日の華やかさは過去のものとなっていた。ドラクロワの筆はその事実を隠さない。むしろ彼は、時の流れによって刻まれた皺や陰りを誠実に描き込むことで、彼女が歩んできた人生の厚みを示そうとする。
この点において、本肖像は単なる「美の再現」ではなく「記憶の肖像」とも呼ぶべき性格を帯びる。彼女の顔には過去の栄光と現在の落ち着きが重なり合い、その背後には宮廷社会のきらびやかな歴史、そして家族の中で過ごした静謐な日常の両方が想起される。美は儚く移ろうものだが、そこに宿る記憶は画家の筆によって永遠に留められる。この二重性こそが本作の最大の魅力といえるだろう。
ドラクロワがこの肖像に注いだ感情は、後年の書簡にも明確に表れている。彼は彼女の死後、作家ジョルジュ・サンドに宛てて「われわれの存在に不可欠な人々が一人消えるごとに、他のどんな関係によっても取り戻せない感情の世界がまるごと失われてしまう」と書き送っている。この言葉は、ドラクロワにとってマダム・リースネールが単なる親族ではなく、精神的支えや心の共鳴者であったことを示している。
1830年代のフランスにおいて、肖像画は依然として重要なジャンルであり、アングルのような新古典主義的画家が、理想化された冷ややかな写実によって顧客を魅了していた。アングルの肖像においては、線の明晰さと形態の精緻さが重視され、モデルはしばしば永遠の美の象徴として描かれる。それに対してドラクロワの肖像は、筆触の自由さや色彩の陰影を通じて「生きられた時間の痕跡」を強調する点に独自性がある。
本作を観る者に強く訴えかけるのは、肖像に漂う「喪失の予感」である。描かれた時点でモデルはまだ健在であったが、ドラクロワはすでに彼女の存在を失うことを想像し、その記憶を絵画に定着させようとしたかのようである。後年、彼女の死を悼んで書き送った言葉は、その感覚を裏づけている。
肖像画とはしばしば「不在の予兆」であり、未来の喪失をあらかじめ慰撫する役割を担う。ドラクロワの筆が彼女の表情に刻みつけた静かな陰りは、そのことを観る者に直感させる。ここには、ロマン主義の感性に特有の「メランコリー」が潜んでいる。個人の肖像でありながら、そこには普遍的な「人間の有限性」と「記憶の保存」という主題が織り込まれているのである。
現在この作品はニューヨーク、メトロポリタン美術館に所蔵されている。同館のコレクションの中で、ドラクロワの代表作とされる壮大な歴史画に比べれば小品であるが、肖像画の領域における画家の繊細な面を示す重要な作品として評価されている。それはまた、観る者に19世紀フランスの社会的背景と、個人史の交錯を考えさせる媒介ともなる。
《マダム・アンリ=フランソワ・リースネール》は、単なる個人の肖像を超えて、時間の痕跡、記憶の持続、喪失の予兆といった主題を織り込んだ、ドラクロワにおける肖像画表現の到達点といえる。若き日の美貌をそのままに再現するのではなく、年齢を重ねた女性の内面を正直に描き出した点に、画家の誠実さと人間への深い洞察が示されている。
ここに描かれた彼女は、もはや宮廷の華やかな侍女ではなく、また一時の皇帝の寵姫でもない。彼女は「家族の一員」として、また「画家の記憶を支える存在」として、静かにその姿を留めている。ドラクロワが彼女の死を悼み、「一人の人間の消失が、取り返しのつかない感情の世界を奪い去る」と記したのは、まさにこの肖像が語りかける真実であった。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。