【アブラハム・ベン=シモルの妻サアダと娘プレシアダ】ウジェーヌ・ドラクロワーメトロポリタン美術館所蔵
- 2025/9/22
- 2◆西洋美術史
- ウジェーヌ・ドラクロワ, メトロポリタン美術館
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ウジェーヌ・ドラクロワの作品
《アブラハム・ベン=シモルの妻サアダと娘プレシアダ》
女性像と19世紀フランス美術
19世紀フランス美術において女性像は、単なる肖像以上の意味を持って描かれることが多かった。王侯貴族や裕福な市民階級の肖像画では、社会的地位、教養、徳性の象徴として女性の姿が強調される。さらにロマン主義の画家たちは、女性を自然や感情の媒介者として劇的に描く傾向があった。ドラクロワも例外ではなく、《民衆を導く自由の女神》(1830年)に見られるように、女性は象徴性と叙事性の中心として用いられてきた。
その一方で、ドラクロワがモロッコ訪問時に制作した《アブラハム・ベン=シモルの妻サアダと娘プレシアダ》は、同時代の女性像を異文化の文脈に置きながらも、個人の存在として尊重する希有な試みである。ここでは劇的な象徴性よりも、女性の日常、世代、そして文化的存在感に視線が向けられている。
1832年、ドラクロワはフランス外交団に随行してモロッコを訪れた。彼はそこでユダヤ人有力者アブラハム・ベン=シモルの家族に出会い、妻サアダと娘プレシアダを描く機会を得た。これは当時の西欧絵画において極めて稀なケースであり、異国女性の日常的かつ個人的な姿を肖像画として描く許可を得たことは、同時代の社会的制約の中では例外的であった。
本作の構図は簡潔であるが、細部にわたり女性像の個性を際立たせている。母と娘は空間の中央に配置され、背景は簡素で、人物の存在感を最大化している。サアダの座姿は安定感と成熟を象徴し、プレシアダの立ち姿は成長と躍動を示す。視線や身体の角度、衣服の装飾の違いは、単なる美的対比ではなく、母娘間の世代的差異と社会的役割の差異を表している。
同時代のフランス美術において、女性はしばしば理想化され、社会的記号として描かれたが、ドラクロワはここで個人としての「母」「娘」を重視した。服飾や装飾に目を引かれるものの、それは個性や存在感を示す手段であり、装飾そのものが主題ではない。
色彩においても、ドラクロワは個々の肌や衣服の質感を丹念に描写している。サアダの白い衣服には微細な青みの陰影が施され、静謐かつ威厳ある存在感を強調する。対してプレシアダの赤や金の衣装は若々しさと華やかさを表現し、母娘の対比を視覚的に強化している。肌色のニュアンスも丁寧に描かれ、光の当たり方や血色まで計算されている。この色彩と質感の扱いにより、二人の女性は単なる象徴ではなく、具体的な個人として画面に立ち現れる。
同時代のフランス美術における女性像には、貴族や市民階級の肖像画の他、歴史画や文学画に描かれる理想化された女性が多く存在する。たとえばドラクロワ自身の《ジプシーの女》や《民衆を導く自由の女神》では、女性は象徴性や劇的役割を担っており、個人性は二次的である。
しかし、《サアダとプレシアダ》では象徴性は最小限に抑えられ、日常的かつ文化的な存在としての女性に焦点が当てられている。これは同時代的な肖像画と比較しても例外的であり、オリエンタリズムの文脈にありながら、女性の個人性と世代差を描き出す画期的なアプローチである。
オリエンタリズム絵画では女性はしばしば官能的・異国趣味的に描かれ、西欧観客の視線を誘引する対象として扱われる傾向があった。ドラクロワも北アフリカや中東の女性を描く機会があったが、本作ではその傾向は抑制されている。母娘の描写は観察に基づく誠実なものであり、幻想や官能の要素はほとんど見られない。
本作を通して、ドラクロワは女性像を文化的背景と個人性の両面で捉えている。ユダヤ人女性としての宗教・社会的役割、母と娘としての世代差、衣服や装飾に現れる生活文化など、視覚的要素を通して多層的に表現している。ここには、単なる肖像画やオリエンタル趣味の範疇を超えて、女性存在そのものに対する敬意と理解が示されている。
《アブラハム・ベン=シモルの妻サアダと娘プレシアダ》は、同時代の女性像研究において重要な位置を占める作品である。母娘の並列構図、世代差、衣服や肌の質感、表情の微妙なニュアンスなどを通して、女性が個人として、文化的存在として描かれている点が特筆される。
ドラクロワはオリエンタリズムの文脈にありながら、女性を幻想や記号として扱うのではなく、現実の生活と文化の中で生きる存在として描き出した。このことは、同時代の肖像画やオリエンタリズム絵画の一般的傾向に対する批評的視点を含み、19世紀フランス美術における女性表象の理解に新たな光を当てるものである。
サアダとプレシアダの衣装は、単なる装飾ではなく、個人性と文化性を可視化する重要な手段である。サアダの衣服は厚手の白布で構成され、襞や陰影が精緻に描かれている。白は清浄や成熟、安定を象徴する色として機能し、彼女の社会的地位や家庭内での役割を示唆する。細かい刺繍や装飾は、単なる美的要素ではなく、家族や宗教的背景、地域文化を反映するものである。
身体表現にも注目すべき点がある。サアダの座姿は安定しており、手の位置や肩の角度に落ち着きがある。これは成熟した女性の内面性と、家庭内での役割の重みを暗示している。一方でプレシアダはやや緊張した立ち姿で描かれ、母に寄り添う姿勢は社会的指導や保護下にある若年女性を示すと同時に、成長の予兆を含んでいる。身体の微細な角度、視線の向き、肩や手のわずかな傾きまで、ドラクロワは慎重に描写することで人物の内面を視覚化している。
当時のユダヤ人女性は、宗教的規範と家庭内での役割によって行動が制約されることが多かった。サアダは家庭の中心としての安定感を表し、娘プレシアダは母を中心に生活するが、将来的な社会的自立も内包している。この母娘の関係性は、女性像の社会的・世代的文脈を理解するうえで重要である。
同時代フランスでは、女性像は貴族や市民階級の象徴、または理想化された叙事画の一部として描かれることが多かった。しかし本作における母娘像は、個人の性格、世代差、文化的背景を重視しており、肖像画の形式を超えた「文化的肖像」とも言える。
サアダとプレシアダの表現は、単に容姿の再現に留まらず、女性の身体性、衣装、所作、そして母娘関係までを包括的に描き出す。この視点は、後に19世紀後半の印象派が家庭内や日常生活の女性像を描く際の先駆的事例として評価されうるものである。
こうして見てくると、《アブラハム・ベン=シモルの妻サアダと娘プレシアダ》は、単なる肖像画でも、オリエンタル趣味の表象でもない。母娘の存在感、衣装や身体表現の細部、文化的・世代的文脈の描写を通して、19世紀初頭における女性像の多層性を提示する作品である。
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