【想像風景:カンポ・ヴァッキーノ越しのパラティーノの丘】フランソワ・ブーシェーメトロポリタン美術館所蔵
- 2025/9/17
- 2◆西洋美術史
- フランソワ・ブーシェ, メトロポリタン美術館
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フランソワ・ブーシェの作品
《想像風景:カンポ・ヴァッキーノ越しのパラティーノの丘》
―ローマ体験とカプリッチョの伝統が交差する初期風景画の魅力―
1734年頃に制作されたフランソワ・ブーシェ《想像風景:カンポ・ヴァッキーノ越しのパラティーノの丘》は、画家がイタリア滞在を終えてパリに戻った直後の初期作品である。メトロポリタン美術館に所蔵されるこの油彩画は、後年のブーシェが「ロココの装飾画家」「宮廷の寵児」として知られるようになる以前の、若き芸術家の模索を示す重要な一例である。イタリア滞在中に吸収した古代遺跡や田園風景の印象を、フランス的な装飾性と融合させ、さらに当時流行した「カプリッチョ(幻想風景画)」の文脈に位置づけられる点に特徴がある。
画面には、カンポ・ヴァッキーノから望むパラティーノの丘が描かれる。この場所は古代ローマのフォルム・ロマヌム(ローマ広場)に相当し、18世紀当時は牛の放牧場となっていた。ブーシェはここに、カリギュラとティベリウスの宮殿跡や、ファルネーゼ家の16世紀庭園の廃墟を配置しているが、その構成は厳密な実景再現ではなく、自由に要素を組み合わせた「想像風景」として構成されている。
カプリッチョは、16世紀後半から17世紀にかけてイタリアで発展した風景画の一ジャンルである。ベネデット・カスティリオーネらに始まり、パンニーニやカナレットに至るまで、画家たちは実在の古代遺跡や風景を素材としつつ、それを自由に組み替え、幻想的で劇的な構図を生み出した。旅行者や教養人の需要に応え、古代ローマへの憧憬をかき立てる図像として人気を博したのである。
ブーシェもこの潮流を継承しているが、彼のアプローチはやや独自である。彼はローマ滞在中、絵画とともに版画制作にも注力しており、ブローマートやドメニキーノなど古画家の素描をエッチング化して出版した。したがって彼にとってカプリッチョとは、単なる幻想風景の再構成ではなく、古典的な造形要素を引用しつつ、それを自らの装飾的感性で再編する実験の場でもあったといえる。本作が完成した1734年という時期は、まさにその成果をフランスで披露する契機となったのである。
本作の構図は三層に分かれる。前景には牧歌的な人物群と牛が配置され、中景に遺跡のアーチや崩れかけた建築が現れ、遠景にパラティーノの丘と宮殿跡が連なる。光は左から斜めに差し込み、廃墟の壁面や人物の衣服を柔らかく照らし出す。
特に注目すべきは、前景の人物表現である。ブーシェはローマ滞在中に知ったアブラハム・ブローマートの素描を直接参照し、農夫や女性像を写し取った。彼はそれらを自らのエッチング集『Livre d’études d’après les desseins originaux de Blomart』(1735年)に収録して出版もしている。このことは、ブーシェにとってブローマートが自然描写と人物学習の源泉であったことを物語る。つまり本作の人物は、写実と理想化の両義性を帯びつつ、風景に牧歌的な温もりを添える役割を果たしている。
また、遺跡の描写にも注目すべき点がある。石材の質感、崩壊した壁の亀裂や草の繁茂などが細密に描き込まれ、実景の観察が基盤にあることがわかる。しかし同時に、遺跡の配置や視点は実際の地形とは一致せず、むしろ幻想的な均衡を優先して構成されている。この二重性こそがカプリッチョの本質であり、ブーシェの想像力の自由さを示すものである。
ブーシェは1728年にローマ賞を受賞してイタリアに渡り、約3年間をローマおよび周辺都市で過ごした。この滞在は彼の画業に決定的な影響を与えた。古代遺跡やルネサンス芸術への接触、そして現地の画家たちとの交流を通じて、彼は「歴史画家」としての資質を磨き、同時に「装飾家」としての感性を強めた。
本作に表れるのは、まさにその両側面である。古代ローマ遺跡への眼差しは歴史的関心を示しつつも、それを現実の再現ではなく「装飾的な幻想」として組み替える感性は、後年の神話画や田園画に通じていく。つまりこの作品は、ブーシェの後の代表作を予告する萌芽を秘めている。
1730年代のフランスは、ロココ様式が台頭しつつあった時期である。宮廷や貴族の需要に応じ、優美で装飾的な作品が求められた。ブーシェもやがてこの潮流の中心に立つが、イタリア帰国直後の彼はまだ「歴史画家」としての評価を得ようとしており、風景画の制作はその一環でもあった。
当時の批評家の目には、本作のような「想像風景」は「学術的厳密さを欠く」と映ったかもしれない。しかし同時に、それは宮廷やコレクターにとって、古代ローマへの憧れと牧歌的理想を満たす格好のイメージでもあった。こうした二重の評価は、後のブーシェ作品にもしばしば見出される。
19世紀にはブーシェはしばしば「享楽的ロココの象徴」として批判的に語られたが、20世紀以降の美術史は彼の多面的な活動を再評価した。本作のような初期の風景画は、彼が単に享楽的画家ではなく、古典的伝統や国際的潮流に深く関わっていたことを示す証拠である。特にカプリッチョという文脈において、ブーシェはイタリア美術とフランス・ロココの架け橋を担った存在として理解されるようになった。
今日、メトロポリタン美術館に収められるこの作品は、鑑賞者に二重の感覚を呼び起こす。すなわち、一方では古代ローマ遺跡の威容と牧歌的日常の調和に安らぎを覚え、他方では幻想的に組み替えられた構図の人工性にロココ的洗練を見る。この二重性こそが、ブーシェの芸術の本質を体現しているといえよう。
《想像風景:カンポ・ヴァッキーノ越しのパラティーノの丘》は、フランソワ・ブーシェの初期画業における重要な一里塚である。ローマ滞在で培った古代遺跡への関心、カプリッチョの伝統的手法、ブローマートからの人物表現の学習、それらが結晶し、幻想と現実の交錯する風景が生まれた。後年の神話画や田園画に比べれば小品でありながら、この作品はブーシェの画業の幅広さと、その根底にある「幻想を装飾的に形象化する力」を示すものである。
この絵を前にするとき、我々は単なる風景画を越えて、18世紀フランスの文化的想像力そのものを目撃するのである。
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