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土田麦僊
《大原女》
―伝統と近代のはざまに立ち現れる女性像―
土田麦僊は、大正から昭和初期にかけての日本画壇において、革新と伝統を架橋する重要な役割を果たした画家である。その画業は常に、従来の日本画の形式にとどまることなく、西洋美術の写実的手法や構図法を積極的に取り込みつつ、日本的な主題や情感を損なうことなく展開された。その試みは、同時代の京都画壇における「新日本画」の模索とも響き合い、後に日本画の近代化の歴史において欠かせぬ一頁を成している。
その中で1927年に制作された《大原女》は、麦僊の代表作のひとつに数えられる。京都近郊の大原で薪を頭に載せて運ぶ女性、すなわち「大原女(おはらめ)」を描いたこの作品は、一見すると民俗的風俗画の延長線にあるように見える。しかしその構成や描写は単なる風俗画にとどまらず、近代的な女性像の構築、さらには伝統と革新の交錯を孕んだ美術的実験の結晶として理解されるべきものである。以下では、この作品をめぐる図像的特徴、歴史的背景、そして麦僊の画業全体における位置づけを検討しながら、その意義を明らかにしていきたい。
まず、この作品の題材となった「大原女」そのものについて触れておく必要がある。大原女とは、京都市北部の大原に住む女性たちが、生業の一環として薪や炭を頭上に載せ、都に運び売った姿を指す。彼女たちは質素な装束に身を包み、白い手拭いを頬に掛けて口元を覆うのが特徴であり、古くは中世から近世にかけて文学や絵画の題材として親しまれてきた。能や狂言の演目に登場するほか、江戸時代には浮世絵師たちがその姿を多く描き、都人にとって大原女は「田舎からやってくる素朴な女性」の象徴として親しまれていた。
特に、薪を載せて歩くその姿は、都市生活に不可欠な燃料を供給する存在であると同時に、農村的・素朴な女性像の象徴として詩情を喚起した。大原女は「働く女性」の原型として美術や文学に繰り返し登場し、その姿は時代ごとに変奏されながら描かれ続けたのである。
《大原女》に描かれた女性は、画面の中央に大きく据えられ、ほとんど等身大のスケール感をもって観者に迫ってくる。背景は簡略化され、女性の姿が単独で浮かび上がるように構成されている。この点で、本作は伝統的な風俗画の群像的なにぎやかさとは異なり、肖像画的な重厚さを帯びている。
さらに注目すべきは、その描写の確かさである。麦僊はヨーロッパ美術、とりわけ印象派以後の写実的な観察と形態把握に学んでおり、本作でも女性の身体の量感や布の質感が精緻に表されている。腰のひねり、背筋の伸びやかさ、頭上の薪を支える腕の強さが巧みに描かれ、労働に従事する女性の逞しさが伝わる。
一方で、その色彩と線描には日本画の伝統が息づいている。輪郭線によって形態が明確に区切られ、衣装の模様や布地の表現は装飾的である。写実的観察と装飾的様式化の両立こそ、麦僊が模索した新しい日本画の核心であり、本作はその到達点のひとつと言えるだろう。
《大原女》が興味深いのは、そこに描かれた女性像が単なる「労働する庶民」ではなく、近代的な「美の主体」として造形されている点である。頭上に重い薪を載せる姿は、肉体労働に従事する厳しさを物語る。しかしその身体は、屈託のない自然な強さを備えると同時に、均整の取れたプロポーションと静かな表情によって、むしろ凛とした美しさを湛えている。
つまり麦僊は、大原女を「働く女性」として描くことで、単なる労苦の象徴にとどめず、近代的な女性の自立や主体性をも投影しているといえる。1920年代は日本社会において女性の地位が変動し、都市には「モダンガール」が現れるなど、女性像が大きく変容した時代である。その時代にあって、伝統的な農村女性を題材としながらも、そこに現代的な均整美と主体性を与える麦僊の視線は、時代の矛盾と希望を映し出している。
1920年代の日本画壇は、東京画壇の横山大観や下村観山らの流れに対して、京都画壇が独自の動きを見せた時期であった。竹内栖鳳に学んだ麦僊は、後に「国画創作協会」の創設に参加し、新しい日本画の可能性を追求した。その中で、伝統的題材を用いつつも、西洋的写実を積極的に取り込み、また大胆な構図や色彩を試みることで、新風を吹き込んだのである。
《大原女》はその文脈の中で理解されるべきであろう。同じく京都画壇の同時代人である村上華岳や小野竹喬らも、それぞれ独自のスタイルで伝統と革新の接点を探ったが、麦僊の場合は「女性像」を通じた新しい美の追求に特色があった。彼の女性像は、単なる美人画でもなく、また単なる風俗画でもなく、個別の人間存在を正面から捉えた現代的肖像画としての側面を持っているのである。
また、《大原女》には民俗的題材の再解釈という側面もある。民俗学が確立しつつあった大正期、地方の生活や風習が新たな学問的・文化的関心を集めていた。大原女という題材もその文脈で再評価され、単なる「古風な風俗」ではなく、日本文化の根幹を示す存在として受け止められた。
麦僊はその流れを背景にしつつ、大原女を「近代的美の象徴」として描き直した。伝統的な衣装や所作を保ちながらも、その造形はモダニズム的に洗練され、強い造形的重心をもって画面に立ち現れる。ここに、民俗からモダニズムへの転換という、1920年代日本美術の大きな流れが凝縮されているといえよう。
現代の視点から見ると、《大原女》は単なる歴史的作品ではなく、労働と美、伝統と革新、地方と都市、女性と近代といった複層的テーマを内包する問題作である。とりわけ「働く女性の美」を真正面から捉えた点は、現代におけるジェンダー論的観点からも再評価に値する。
土田麦僊《大原女》は、伝統的な題材を通じて近代的女性像を構築しようとした画家の試みを如実に示す作品である。そこには、西洋的写実と日本的装飾性の緊張関係、労働と美のあいだにある人間存在の尊厳、民俗とモダニズムの交錯といった、1920年代日本美術の核心的課題が凝縮されている。
大原の山里から薪を運ぶ一女性の姿は、単なる風俗画の再現を超えて、時代を超越する人間像へと昇華されている。麦僊が追い求めた「新しい日本画」の理想は、この女性像において確かなかたちを得たのである。
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