【栗拾い】黒田清輝ー黒田記念館所蔵

【栗拾い】黒田清輝ー黒田記念館所蔵

黒田清輝

《栗拾い》

晩年の農村主題と近代日本洋画の地平

 大正6年(1917年)に描かれた黒田清輝《栗拾い》は、彼の晩年の画業を語るうえで看過できない一作である。黒田は言うまでもなく、日本近代洋画史における最重要人物のひとりであり、フランス留学を経て印象派の技法を日本に紹介した先駆者である。帰国後は白馬会の活動を通して明治洋画の刷新を図り、さらには東京美術学校教授、帝室技芸員、帝国美術院初代会長として制度的基盤を整えるなど、文化政策の中心に位置した。

 その黒田が晩年に取り組んだ主題が「農村風景と農作業」であったことは興味深い。彼の代表作としてしばしば想起される《湖畔》や《智・感・情》のような明快な人物画とは異なり、《栗拾い》は農作業に従事する女性を静かに描いたものである。大正期という時代背景を踏まえれば、それは単なる風俗画に留まらず、近代日本における自然・労働・歴史意識の結びつきを探ろうとした試みであったと解釈できる。

 栗拾いは農村の秋を象徴する営みであり、自然の恵みを手にする素朴な労働の場面である。画面に登場するのは、腰を屈めて落ち栗を拾い集める農婦であろう。彼女の姿は静かで、過度な劇的動作を伴わない。背景には鎌倉周辺の緑豊かな山並みが広がり、落葉の匂いを感じさせる柔らかな光が画面を包む。

 栗という果実は日本人にとって古来、実りと豊饒の象徴であった。秋祭りや収穫儀礼と結びつき、生活の基盤を支える糧である。本作の農婦は、その伝統的な象徴性を帯びながらも、近代洋画的な筆致のもとで描かれることで、新旧の文化的意味を交錯させている。

 《栗拾い》と同年に制作され、文展に出品された《赤小豆の簸分》(現・ポーラ美術館蔵)もまた、農作業を主題とした大作である。そこでは鎌倉の歴史的風景を背景に、農婦たちが小豆を簸分する姿が描かれている。歴史的景観と日常労働の融合という点で、黒田は単に農作業を風俗的に描くのではなく、日本の土地と人との関わりを近代絵画の表現に取り込もうとしたことがわかる。

 《栗拾い》は《赤小豆の簸分》のように大規模な群像構成をとらず、個人に焦点を当てた比較的親密な場面である。だがその内省的な趣は、むしろ黒田晩年の心境を反映しているとも考えられる。歴史の大きな流れを背負う群像に対し、個の生活の営みを見つめる視線――両者は黒田が晩年に抱いた「日本近代画の方向性」の二面を示しているのだ。

 《栗拾い》の技法を観察すると、印象派に学んだ黒田の筆触が落ち着いた調子で生かされていることがわかる。強烈な筆触分割や鮮やかな原色の対比ではなく、秋の柔らかな光を捉える抑制的な色彩が基調である。農婦の白っぽい頭巾や着衣は、周囲の大地や落葉の茶褐色と調和し、全体に温かみのある色調を形成している。

 構図は低い視点から農婦をとらえ、前景に落ち栗を散らし、中景に人物、遠景に緑の山並みを置く三段構成である。人物は画面の中心をわずかに外し、自然の広がりの中に溶け込むように配置されている。この控えめな構図は、人物を英雄化せず、自然と労働の一体感を静かに強調するものである。

 黒田が晩年に農作業を繰り返し描いた背景には、いくつかの要因が考えられる。第一に、フランス留学時代に学んだバルビゾン派や印象派の風景画への共鳴である。彼らが農村の労働や自然を描き、近代市民社会の成立とともに失われゆく伝統的生活を記録したように、黒田もまた日本の農村の営みを近代画の主題として位置づけようとした。

 第二に、大正期の日本社会における農村の意義である。都市化と産業化が進行する一方で、農村は依然として国民生活の根幹を支えていた。帝国主義的国家建設のなかで「国土と民衆」の結びつきを象徴するイメージが求められ、農村主題の絵画はそうした社会的欲望にも応答していた。

 第三に、黒田個人の精神的変化である。政財界と美術制度の中心に位置した黒田は、晩年、制度構築の重責を担う一方で、自らの画業においてはより素朴で普遍的な主題を求めたのではないか。《栗拾い》に漂う静けさと親密さは、そのような心境を映し出すものであろう。

 《栗拾い》は、日本近代洋画史における重要な転換点を示している。明治期、黒田は「外光派」の導入を通して日本画壇に革命をもたらした。しかし大正期になると、その技法はすでに一般化し、次世代の画家たちはより多様な表現を模索し始める。黒田自身は、その潮流を先取りする形で「日本の風土と生活をどう洋画で表現するか」という問題に取り組んだのである。

 《栗拾い》に描かれた農婦の姿は、パリのモデルではなく日本の大地に根差した人間である。その労働の所作は英雄化されることなく、しかし確かな尊厳を湛えている。そこに見られるのは、単なる西洋技法の模倣を超えた「日本の近代洋画」の確立をめざす志向である。黒田の弟子たちが後に風景画や風俗画を通じて日本的な主題を追求したのも、こうした晩年の黒田の姿勢に触発された部分が大きい。

 本作を実際に観賞する際、まず感じられるのは光と空気の柔らかさである。秋の午後、山の裾野に差し込む陽光が大地をやさしく包み、農婦の動作を静かに照らし出す。栗の殻を拾い集める所作は日常的でありながら、画面全体のリズムの中で一種の詩情を帯びる。観者はそこに労働の厳しさよりも、自然との調和と季節の恵みを感じ取るだろう。

 同時に、農婦の背に広がる山並みは悠久の時間を示唆する。鎌倉という土地が持つ歴史の厚みが、静かに画面を支えている。《栗拾い》を観ることは、単に秋の農作業を目にすることではなく、自然・歴史・人間の営みが交錯する場に立ち会う体験なのである。

 黒田清輝《栗拾い》は、近代日本洋画が直面した「日本の風土と生活をいかに描くか」という課題に対するひとつの回答である。フランス印象派から出発した黒田は、晩年には日本の大地に根ざした農作業を描くことで、近代絵画を普遍的な人間の営みと結びつけようとした。その姿勢は単なる技法の移植を超え、文化的主体性を模索するものであった。

 本作を前にすると、私たちは秋の光の温もりと、農婦の労働の静けさを感じると同時に、近代日本の美術が歩んだ道筋をも想起する。黒田が晩年に見出した「栗拾い」の場面は、今日の我々にとってもなお、自然と人間の関わりを見つめ直す契機となりうるのである。

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