【割れた皿】髙島野十郎ー福岡県立美術館蔵

【割れた皿】髙島野十郎ー福岡県立美術館蔵

髙島野十郎

《割れた皿》

 戦後日本の美術史を語る上で、髙島野十郎が占める位置は特異である。画壇から距離を置き、孤独な制作の道を歩んだ画家は、生涯にわたり「光」を描き続けたことから「光の画家」と称されることもあるが、その実像は決して単一の表現に収斂しない。とりわけ昭和20年代に描かれた静物画群には、彼の精神的風景が凝縮しているといってよい。その一つが、《割れた皿》である。福岡県立美術館に所蔵される本作は、戦後の荒廃と再生の気配を、物言わぬ器物を通して象徴的に描き出す作品である。

 《割れた皿》は、題名の通り一枚の割れた皿を中心主題とする静物画である。皿は欠け、裂け、どこか修復不能に見える。絵画の構図は極めて簡素であり、背景も装飾的要素に乏しい。照明は強くもなく弱くもなく、むしろ淡々とした光が、白磁の皿のひび割れを浮かび上がらせている。果物や花といった静物画における常套的モチーフは排され、破損した器のみが画面に残されている。この静謐かつ荒涼とした構成こそ、本作の最大の特徴であろう。

 野十郎の静物画には、しばしば「壺」「グラス」「果実」といった題材が登場するが、いずれも光を受けて沈黙する物体が、ある種の存在感を放っている。《割れた皿》はその系列に属しながらも、通常の静物画が示す「生命の豊かさ」や「日常の美しさ」とは異なる。むしろ、戦後の精神的空白、失われた時間、修復できぬ断絶を象徴しているかのように見える。
 昭和23年(1948年)といえば、敗戦から三年を経た日本社会がなお深刻な混乱のただ中にあった時期である。都市は瓦礫の山を抱え、戦災孤児や引揚者が路上に溢れ、食糧難が続いていた。社会の基盤が「割れた皿」のように不可逆的な損壊を蒙ったことは言うまでもない。野十郎が描いた皿のひび割れは、単なる日常の一光景を超えて、戦後日本人の集合的無意識に巣食っていた「断絶の感覚」を象徴化しているのではないか。

 さらに、皿という器物は「食べる」行為を媒介するものであり、生活の根幹を支える存在である。その皿が割れることは、生活基盤の脆弱さを露呈するものであり、戦後の窮乏生活に重なる。画家は社会批評を直接意図したわけではなかろうが、彼の孤独な眼差しが捉えたのは、まさに時代の傷そのものだった。

 《割れた皿》を近くで見ると、皿の表面に落ちる光が異様に繊細に処理されていることに気づく。割れ目の縁は微妙に陰影を帯び、白磁の釉薬が残る部分はわずかに光沢を放っている。この明暗の対比によって、皿は単なる物体以上の「存在」として立ち現れてくる。ここにこそ野十郎の本領がある。彼にとって光は単なる自然現象ではなく、物質を存在させる根拠であった。

 野十郎は「自然そのものが光を発している」と語ったと伝えられる。蝋燭や月や太陽を生涯描き続けたのもそのためである。《割れた皿》においても、欠損した器は光によって浮かび上がり、むしろ割れ目があるからこそ光が複雑に屈折し、存在感を際立たせている。つまり「破壊」は単なる否定ではなく、新たな光の可能性をも呼び込んでいるのだ。

 日本近代の静物画は、岸田劉生の《林檎三個》に代表されるように、対象の存在感を凝視する方向と、梅原龍三郎のように色彩の装飾性を重視する方向に大別される。《割れた皿》はそのいずれとも異なる。そこにあるのは、対象を「描き美化する」意志ではなく、対象の傷そのものを直視する冷徹な態度である。この姿勢はむしろ西洋のモダニズム絵画、たとえばセザンヌやモランディに近いものがある。

 モランディが日用品の瓶や壺を何度も繰り返し描き、そこに形態の純粋なリズムを見出したように、野十郎もまた「無名の器」に精神を投影した。ただしモランディが調和と内省の世界を築いたのに対し、野十郎は戦後の断絶を直視し、皿の「割れ」を否応なく描き込んだ点で決定的に異なる。そこには、画家の孤独な信念と同時代への鋭い感受が交錯している。

 器物の「割れ」は、東洋思想においても重要な意味を持つ。たとえば日本の美意識では、割れた器を金継ぎして用い続ける「侘び寂び」の文化が存在する。しかし本作には、修復の痕跡はない。皿はただ割れたまま、そこにある。これは侘び寂び的な「受容」ではなく、壊れた現実を直視する姿勢を表している。画家は、欠損を美化するのでもなく、哀愁に浸るのでもなく、ただそこにある事実として描いたのである。

 この態度は、戦後の「再建」「復興」という社会的言説の陰でなお拭えぬ「失われたもの」への黙示であろう。皿の「割れ」は、失われた時間や死者を象徴する。光を帯びながらも欠けている器は、残された者が背負う喪失感を視覚化しているのだ。

 戦後の野十郎は、画壇からほぼ隔絶した生活を送っていた。千葉県柏の農村に移り住み、農耕と絵画に没頭し、展覧会への出品も少なかった。そうした孤独な環境が、対象を見つめる眼差しを鋭くし、日常の些細な器物にも精神的重みを付与することになったのだろう。野十郎にとって《割れた皿》は、単なる静物ではなく、自己の存在を投影する「鏡」であったに違いない。

 また、野十郎が終生貧窮に耐えながら制作を続けたことを思えば、皿の割れは彼自身の生活実感とも重なり合う。新品の器ではなく、使い古され、破損した皿。それは画家自身の人生の比喩でもある。自己と世界の両方を映し込んだこの静物は、彼の内的独白そのものなのだ。

 《割れた皿》は、美術史的には戦後日本の静物画の一つの極点を示しているといえる。戦後の画家たちはしばしば「再建」や「希望」を描こうとしたが、野十郎はその対極に位置し、喪失と欠損を直視した。彼の姿勢は同時代の抽象表現や前衛運動とは交わらないが、逆説的に「戦後」という時代をもっとも深く映し出している。

 その意味で、《割れた皿》は単なる私的表現ではなく、普遍的象徴を孕む作品である。割れた器はあらゆる時代、あらゆる人間に共通する「喪失の記憶」を呼び起こすからである。

 《割れた皿》は、戦後の断絶を象徴するだけでなく、存在を成立させる「光」と「影」の問題を根底から問う作品である。野十郎は、壊れた器を描くことによって、破壊のなかにもなお射し込む光の力を示した。修復も美化もないその描写は、静かな絶望であると同時に、存在の根源を照らす厳粛な希望でもある。

 彼の絵画は観る者に、失われたものを悼むと同時に、それでもなお残されたものを見つめ直す契機を与える。《割れた皿》は、孤高の画家が時代と自己を投影した黙示録的静物であり、日本美術史において特異な輝きを放ち続けるだろう。

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