
《筑後川遠望》
光と風土の交響としての髙島野十郎
福岡県久留米に生まれた画家・髙島野十郎は、その生涯を通じて、独自の自然観と孤高の画業を築き上げた人物である。中央画壇に身を置きながらも、その評価に迎合することなく、自らの信じる絵画の道を追求し続けた姿勢は、彼の作品世界に強い個性を刻印している。特に、光を凝視するかのような《蝋燭》や、幻想的ともいえる月光や満月の作品群は広く知られているが、その基盤には常に「風土」と「自然への真摯なまなざし」があった。
ここで取り上げる《筑後川遠望》(昭和24年頃制作)は、戦後間もない時期に描かれたものであり、野十郎が故郷・筑後の自然を遠景として捉えた作品である。敗戦後、日本全体が混乱と再生の狭間にあったこの時期に、彼はあえて日常的で静謐な風景を描いた。そこには、時代の苦悩や政治的イデオロギーから距離を置き、普遍的な自然の姿へと心を寄せる画家の姿勢が刻まれている。
筑後川は九州北部を流れる大河であり、「筑紫次郎」とも称される。豊かな水量と肥沃な流域は、古来より人々の生活や文化に深く関わり続けてきた。久留米出身の野十郎にとって、この川は単なる自然景観以上の意味を持ち、幼少期から青年期に至るまで心象風景を形づくる核であったと考えられる。
《筑後川遠望》において、画面は典型的な「遠望」の形式で構成され、川の流れを横断的に捉え、その奥に筑後平野の広がりや遠山が霞の中に沈む。空は大きく開け、淡い光を帯びた雲が漂い、川面は静かに反射している。構図は決して劇的ではなく、むしろ淡々とした自然の広がりを写し取っている。だが、その「平凡さ」こそが、野十郎にとっての風土の真実であり、自然の中に潜む永続性を見つめる姿勢を表すのである。
野十郎の絵画は、しばしば「光」の画家と評される。《筑後川遠望》においても、彼は光と色彩の関係に繊細な注意を払っている。川面を覆う光はきらめきではなく、むしろ空気をふくんだ柔らかな輝きである。明度の高い色調が全体に行き渡り、川と空が緩やかに溶け合うような印象を与える。
色彩は単純化され、強いコントラストや劇的な陰影は避けられている。その結果、画面全体が微妙なトーンの差異によって構築され、自然の呼吸を感じさせる調和が成立している。野十郎は決して印象派的な瞬間の輝きを模倣しているわけではない。むしろ、彼は自然の「永遠の相」を掬い取ろうとするかのように、静かな光の布置を描き出しているのである。
この光の描写は、彼が一貫して追求した「内面的リアリズム」に通じる。つまり、目に見える風景の一瞬の印象を写すのではなく、自然の奥に息づく普遍的な時間を画布に定着させることを目指しているのだ。
《筑後川遠望》は、一見すると単なる地方的風景画に見える。しかし、その構図を精査すれば、そこに潜む精神性が浮かび上がってくる。川を中心に据えた水平的な構成は、視線を左右に広げ、さらに遠方の山並みへと誘導する。画面は人為的な要素を排し、ただ自然の秩序だけが支配している。
この「静けさ」は、野十郎の精神性と深く結びついている。彼は自然を単なる客観的対象として描くのではなく、そこに自らの存在を重ね合わせる。川の流れ、空の広がり、遠山のかすみ――それらは画家の内面の平穏、あるいは祈りのような精神状態を映し出している。
ここに見られるのは、単なる風景画の枠を超えた「精神的風景画」とも呼ぶべき境地である。筑後川という土地固有の風景を描きながらも、それは普遍的な人間存在の問いへと開かれているのである。
本作が描かれた1949年は、日本が敗戦の痛手から立ち直りつつあった時期である。多くの画家が戦争体験を背景に社会的テーマを取り込み、表現の新しい方向性を模索していた。抽象表現やシュルレアリスム、あるいは戦争批判的な主題が注目を浴びる中、野十郎はあえて「風景」に立ち戻った。
これは、彼が中央画壇の潮流に身を任せなかったことを物語る。同時代の画家が「時代の証言」としての絵画を描く中で、野十郎は「時代を超えるもの」としての自然を描いたのである。その姿勢は、一見時代遅れに見えるかもしれない。しかし今日の視点からすれば、その徹底した孤高の立場こそが、彼の作品を時代の制約から解き放ち、普遍的な価値を付与していると言えよう。
《筑後川遠望》は、彼の代表的モティーフである《蝋燭》や《月》の作品群とは一見かけ離れているように見える。しかし、そこに共通しているのは「光」を媒介とした自然の真実への探求である。
蝋燭の炎は一点の集中した光であり、暗闇の中に孤独な存在感を放つ。それに対し、《筑後川遠望》の光は拡散的で、自然全体を包み込む。表現の仕方は異なるが、いずれも光を通して「存在の根源」に迫ろうとする意志が共通しているのである。
また、《菜の花》や《海辺の秋花》といった戦後の花の作品とも比較できる。そこでも、野十郎は生命の息吹を「光と色彩の響き」として描き出している。つまり、《筑後川遠望》は野十郎の一連の自然観の中で、特に「風土と永遠性」を主題化した位置を占めていると言える。
日本の近代洋画史において、風景画は重要なジャンルであった。黒田清輝や青木繁から始まり、岸田劉生や安井曾太郎など、多くの画家が風景を通して自己の表現を模索してきた。その中で、野十郎の風景画は極めて特異である。
彼は印象派の技法を受容しつつも、単なる外光描写にはとどまらなかった。むしろ、自然の永続的な姿を凝視し、そこに精神的な意味を見出そうとした。その姿勢は、同郷の青木繁が早熟の天才として描いた「ロマンティックな自然観」とは対照的であり、また東京画壇で活動した劉生らの写実主義とも異なる。
《筑後川遠望》は、そうした日本近代風景画の系譜にあって、野十郎ならではの「孤高のリアリズム」を示す作品である。
《筑後川遠望》は、単なる郷土の風景ではない。そこには、戦後の不安定な時代にあっても揺るぎない自然の姿を描き出し、人間の営みを超えた普遍的な秩序を示そうとする画家の祈りが込められている。
筑後川は流れ続け、平野は季節ごとに色を変え、山並みは雲間に沈む。その風景は、野十郎にとって「変わらないもの」として心に刻まれていたのだろう。彼の筆致は、その不変性を光と色彩によって画布に定着させる試みであった。
今日、この作品を前にすると、私たちは単なる風景以上のものを感じ取る。それは、土地と人間の深い結びつきであり、また自然の永続性に支えられた人間精神の静かな確信である。髙島野十郎の《筑後川遠望》は、まさに「風土を描くことは存在を描くこと」であることを示す一作として、彼の画業において特異な輝きを放ち続けている。
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