
髙島野十郎の《イタリヤの海 キオッジア漁村》
昭和初期、髙島野十郎がヨーロッパを遍歴していた時期に描かれたとされる《イタリヤの海 キオッジア漁村》は、彼の画業において特異な位置を占める作品である。野十郎といえば「蝋燭」や「月」あるいは晩年の「睡蓮」に代表される、禁欲的な孤高の画家としてのイメージが広く浸透している。しかしその長い生涯のなかで、若き日の彼が西洋美術の本場に身を投じ、異国の光と色彩に触れた体験を、画布に定着させた痕跡を見逃してはならない。このキオッジアの海を描いた一作は、彼の芸術観を形作る過程における重要な断面であり、また「光の画家」としての彼の出発点を暗示する証左でもある。
キオッジア(Chioggia)はヴェネツィア潟の南端に位置する小さな漁村であり、アドリア海に開かれた水辺の町である。ヴェネツィア本島と異なり、観光化の度合いは当時比較的少なく、古風な運河と漁船の並ぶ港町の風景が保たれていた。イタリア北東部特有の澄んだ光と、漁師たちの生活感に満ちた港湾の景観は、多くの画家を魅了してきた。ワーグナーやトーマス・マンの文学にもしばしば言及されるこの土地は、耽美的なヴェネツィアとはまた異なる、素朴で厳しい生活の匂いをたたえている。
野十郎がこの土地を訪れたのは、1930年代初頭、彼がフランス留学を中心にヨーロッパ各地を巡っていた時期とされる。パリでアカデミックな教育を受けながら、彼はロンドン、ブリュッセル、そしてイタリアへと足を運び、現地の風土と光をスケッチに収めていった。キオッジアを題材に選んだことは、彼が単なる観光地としてのヴェネツィアではなく、より生活に根ざした漁村のリアリティを求めていたことを示している。
作品の構図は比較的シンプルである。画面中央に広がるのはアドリア海の水平線、その手前に停泊する漁船群、さらに岸辺に寄り添う家並みや防波堤が描き込まれている。水平線は画面の上部にやや高く設定され、海の広がりよりもむしろ港の近景に重点が置かれている点が特徴的である。これは単なる風景画ではなく、漁村という人間の生活空間を強調する意図の表れであろう。
漁船の帆は茶褐色や赭土色に染められ、陽光を受けて重厚な質感を帯びている。建物は石造りの壁と赤茶けた屋根をもち、いかにも北イタリアの港町らしい色合いを呈している。その背後には空が淡い青白さを残して広がる。野十郎の筆致は緻密でありながらも、対象を過剰に写実化することはない。むしろ面と線を大きくとらえ、色彩の対比によって風景全体の調和を図っている。
この作品を特徴づけるのは、光にさらされた色彩の鮮烈さである。アドリア海の青は透明でありながら深みをもち、そこに漁船の赭色の帆が強烈なアクセントを与える。建物の壁には石灰質の白と影の灰色が交互に配され、海と空のブルーに呼応する。こうした色彩の配置は、印象派的な「瞬間の光」を追うのではなく、むしろ対象そのものの物質感を強調する方向に傾いている。
つまり野十郎は、キオッジアの風景を単なる色の印象として捉えるのではなく、そこに人間の労働と生活が凝縮された「重み」として表現しようとしたのである。帆の赭色や屋根瓦の赤茶は、太陽の光に照らされることで一層鮮やかに浮かび上がり、漁村の逞しさを象徴している。
光の表現こそ、この作品における最大の要点である。野十郎は生涯を通じて「光」に執着した画家であった。蝋燭の炎や月の輝きといった人工的・自然的な光源を題材にした数々の名作は、その究極の追求の結果である。本作はその萌芽を示すもので、地中海的な強烈な陽光を画布にとどめる試みがうかがえる。
海面には白い反射光が散らばり、波の揺らぎに合わせて銀色のきらめきが点描されている。帆布の陰影は単なる明暗ではなく、太陽の角度と湿気を含んだ空気の厚みをも感じさせる。家々の壁もまた、光を浴びた面と影に沈む面とが対照的に描かれ、その反射が海に映り込む。これらは単に風景を再現する以上に、「光そのものの存在感」を捉えようとする態度の表れである。
当時の野十郎は、パリにおいてアカデミックな写実教育を受けていたが、同時に印象派やポスト印象派の作品にも触れていた。モネの光の実験、セザンヌの構成的視覚、ゴッホの強烈な色彩――そうした西洋近代美術の数々の成果が彼の視野に入っていたことは間違いない。
しかし《キオッジア漁村》を見るかぎり、彼は単純に印象派的な「外光描写」に追随することはなかった。むしろイタリアの土地で得た経験は、光の中にある「永遠性」を直観させたのではないだろうか。光はただ瞬間的に移ろうものではなく、大地と人間の営みを貫く根源的なエネルギーである。その理解こそが、のちの「蝋燭」や「月」へと至る道を準備したのである。
キオッジアの海を描きながらも、そこに異国趣味的な装飾や、観光絵葉書的な美しさはほとんど見られない。むしろ画面には、漁村に根ざす人々の労苦や生活の匂いが沈潜している。彼は日本人としての視点を忘れずに、外からの観察者としてではなく、土地に同化するかのように風景を見つめたのである。
晩年の《蝋燭》や《睡蓮》における静謐な光景を思い起こすとき、《キオッジア漁村》はその遠い源流を示しているように見える。人工の炎や夜空の月明かりといった孤独で内面的な光に至る前に、彼は一度、イタリアの陽光のもとで「外界の光」の強さを全身で受けとめた。その体験がなければ、後年の孤高の追求は生まれなかったのではないか。
この作品に漂うのは、まだ若き画家の瑞々しい観察眼と、外界への憧憬である。同時に、その観察の奥には、既に「光とは何か」という問いが芽生えている。外界の海と空を越えて、永遠の光を捉えようとするまなざしは、この時期から一貫していたのだ。
孤高の画家と評される彼の生涯を振り返ると、このイタリア滞在期の作品は数こそ少ないが、後年の制作の土台を築く大切な航海の一章であったことが理解されるだろう。静寂な「蝋燭」の炎も、孤月の光も、その奥にはかつて浴びたキオッジアの陽光が潜んでいる。彼が求めたのは、光を通して現れる「永遠の真実」であり、この作品はその探求の始まりを記すものであった。
本作は、晩年の《蝋燭》や《月》に象徴される「光の画家」としての髙島野十郎の探求の出発点にあたります。アドリア海の陽光や反射する水面、帆布に射す強烈な明暗は、後年の静謐な光の表現へと連なる原体験を示しています。
単なる観光的な美しさを描くのではなく、漁船の帆や家並みの質感に人々の労働と生活感を刻み込んでいる点が特徴です。野十郎は異国の風景を「人間の営みが支える現実」として捉え、日本人画家としての独自のまなざしを示しました。
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