【全体】ワシリー・カンディンスキーー東京国立近代美術館所蔵
- 2025/8/19
- 2◆西洋美術史
- ワシリー・カンディンスキー, 東京国立近代美術館
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ワシリー・カンディンスキーの《全体》
晩年の宇宙を束ねる構造と生命の脈動
1940年、ワシリー・カンディンスキーがフランスで描いた《全体》は、その題名が示す通り、彼の長い創作歴の総括とも言える作品である。油彩・キャンバスによる本作は、東京国立近代美術館に所蔵され、ロシア出身のこの巨匠がヨーロッパの激動の歴史に巻き込まれながらも、なお絵画の可能性を探り続けた軌跡を物語っている。
カンディンスキーは抽象絵画の創始者の一人として知られるが、その「抽象」は単に具象的な形象を捨てたという意味ではない。彼にとって抽象とは、自然界や精神世界から導き出された「内的必然性(innere Notwendigkeit)」を、色彩と形態の純粋な関係の中で具現化する営みであった。1910年代の初期抽象は、しばしば力強い対角線構成や、放射的な色面のぶつかり合いによって構成され、精神的高揚や音楽的リズムを呼び起こす。しかし、彼がナチス政権の文化弾圧から逃れ、1933年にフランスへ亡命してからは、画面はより軽やかで、有機的な形態と柔軟な構造が支配するようになっていく。《全体》はまさにその時期の成果であり、幾何学と有機形態の融合という晩年の特色が顕著に現れている。
構造としての「矩形」——多宇宙のフレーム
本作を目にしてまず印象的なのは、画面を分割する矩形の存在である。矩形はカンディンスキーの初期バウハウス時代から時折現れる構造的要素だが、ここでは単なる構図上の区切りではなく、それぞれが独立した小宇宙のように機能している。各矩形内には、大小さまざまな形態が配置され、色彩も変化に富む。それはまるで、顕微鏡でのぞき込んだスライドガラスの一枚一枚に異なる生物相が広がっているかのようだ。
この「矩形の中の世界」は、カンディンスキーの全キャリアを圧縮したサンプル群にも見える。ある矩形では円と直線が緊張感を持って組み合わされ、初期の幾何学的抽象を想起させる。別の矩形では、不定形なアメーバ状のフォルムがゆったりと漂い、1930年代後半に顕著な有機的抽象の様式を反映している。つまり本作は、一枚の画布の上に、異なる時代・異なる性格の作品を並列させることで、カンディンスキーの造形言語を百科事典的に提示しているのである。
有機形態の台頭——生命の胚としてのフォルム
1930年代後半以降のカンディンスキー作品に頻出するのが、アメーバや微生物、あるいは胚のような有機形態である。これらは単なる装飾ではなく、画家にとって新しい「生命の記号」であった。彼は自然科学や顕微鏡写真にも関心を寄せ、そこから得られるミクロな生命像を、精神的象徴として取り込んでいったと考えられる。
《全体》においても、この有機形態は矩形の中を漂い、互いに関係を持ちながら増殖していくように見える。カンディンスキーの初期抽象が「外界の風景や音楽のリズム」を抽象化したものであったとすれば、この晩年の有機的抽象は「生命そのものの内的構造とリズム」を抽象化したものといえるだろう。円や三角形といった厳密な幾何学形態と並置されることで、有機形態はより柔らかく、より生き生きとした存在感を放つ。
色彩の分節と調和
本作の色彩は、鮮烈でありながら過度な衝突を避け、複雑な調和を実現している。矩形ごとに異なる色調が設定され、赤や黄の暖色系と、青や緑の寒色系がリズミカルに交互し、全体として軽快な音楽的フレーズを奏でる。カンディンスキーは著書『芸術における精神的なもの』で色彩を「魂に直接作用する手段」と位置づけ、それぞれの色に固有の心理的効果を与えていたが、《全体》ではその理論が成熟し、矩形という枠組みを通して色彩が多声的に響き合う構造を作り上げている。
興味深いのは、色面の境界がしばしば柔らかく、境界線が微妙に揺らいでいる点だ。この揺らぎは、単なる筆致のニュアンスにとどまらず、有機形態との親和性を高め、画面全体を硬直化させない役割を果たしている。こうした色彩の「柔らかい接続」は、亡命生活という不安定な時期にあって、画家が求めた内的安定と関係しているのかもしれない。
歴史的背景——亡命者の視点と1940年という年
1940年は、ヨーロッパが第二次世界大戦の戦火に呑み込まれた年である。カンディンスキーはすでに76歳を迎え、画家としての晩年に差しかかっていた。彼は1933年にナチスの退廃芸術政策によりバウハウスを追われ、フランスに移住したが、そのフランスもドイツ軍の侵攻を受ける危機に直面していた。《全体》が制作された時期は、芸術家にとっても未来が見えない混乱のただ中であった。
そうした状況下で、この作品が「全体」という題を冠していることは意味深長である。分裂や崩壊の危機に直面しながらも、カンディンスキーは多様な要素を一枚の画面にまとめ上げ、全体性を回復しようと試みた。矩形に区切られた各世界は異なる個性を持ちながらも、色彩や線のリズムによって結びつき、調和的な全体を形成している。この構造は、混沌の中に秩序を見出そうとする画家の精神的態度を映し出している。
音楽的構造と時間性
カンディンスキーはしばしば音楽を絵画の理想形とみなし、視覚的要素を音楽的構造に対応させてきた。《全体》もまた、矩形の配列と色彩の変化が、まるで楽曲のフレーズや変奏のように響き合っている。矩形は小節のように画面を区切り、その中でモチーフが反復・変化・展開される。観者は画面を視線で移動するうちに、時間的な流れを感じ取ることになる。
総目録としての意味
《全体》は、造形的には多様な要素の集積でありながら、構想としてはきわめて明確である。それは、カンディンスキーが自身の芸術語彙を一覧し、体系化した「総目録」のような機能を果たしている。初期の鋭角的抽象、バウハウス時代の構成主義的幾何学、そして亡命後の有機的抽象——それらが一枚の画面に共存し、互いに干渉し合い、新たな調和を生み出している。
この点で《全体》は、晩年の芸術家が自らの歩みを振り返りつつ、同時に未来への可能性を模索した成果といえる。カンディンスキーはこの後も制作を続け、1944年にパリ郊外で没するが、《全体》にはその死の数年前における創作の到達点と、なお消えぬ探求心が刻まれている。
1940年の《全体》は、単なる晩年の一作ではなく、カンディンスキーの芸術的宇宙を凝縮したマニフェストである。矩形という構造の中で、幾何学と有機形態が交錯し、色彩が多声的に響き合う。その構造は、戦争という分断の時代にあっても、なお「全体」を希求する精神の証であった。
本作は今なお、私たちに問いかける——分断された世界の断片を、いかにしてひとつの全体へと結び直すことができるのか、と。
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