【日傘の貴婦人文皿(Dish with Parasol Ladies)】伊万里焼ーメトロポリタン美術館所蔵

【日傘の貴婦人文皿(Dish with Parasol Ladies)】伊万里焼ーメトロポリタン美術館所蔵

「日傘の貴婦人文皿(ひがさのきふじんもんざら)」

日傘の貴婦人文皿——江戸の伊万里が映す異国の眼差し

一枚の皿に託された美の交差点

私たちが美術館を訪れ、ガラスケースの中で静かに佇む陶磁器に目を留めるとき、その背後にある時代や文化、そして人と人との出会いに思いを馳せることは多くありません。しかし、メトロポリタン美術館に所蔵されている「日傘の貴婦人文皿」は、その静かな佇まいの中に、実に豊かな歴史的物語を秘めています。

この皿は江戸時代に日本で焼かれた磁器、いわゆる「伊万里焼(いまりやき)」の一種であり、肥前(現在の佐賀県・長崎県)で制作されたものです。しかし、その文様は決して日本独自の発想から生まれたものではありません。皿の中心には、優雅に日傘を差した二人の女性が描かれており、その衣装や仕草は日本的ながらも、どこか異国の気配を感じさせます。実はこのデザイン、もともとはオランダの画家コルネリス・プロンク(1691年–1759年)によって描かれた西洋の図案が元になっているのです。

プロンクとオランダ東インド会社の試み
「日傘の貴婦人文皿」のデザインの起源を探るには、まず18世紀初頭のオランダに目を向ける必要があります。アムステルダム出身の画家コルネリス・プロンクは、ヨーロッパで活動するデザイナーであり、彼はオランダ東インド会社(Vereenigde Oostindische Compagnie, 通称VOC)からの依頼を受け、中国向けの陶磁器装飾図案を描くという、珍しい仕事に携わりました。

当時、ヨーロッパでは中国磁器が高く評価されており、東インド会社はその人気に応えるため、現地の職人に自国の趣向を反映させた新たなデザインを提供することを考えていました。その一環として、プロンクに依頼されたのが「日傘の貴婦人たち(Parasol Ladies)」と呼ばれるシリーズの図案です。

この図案では、当時のヨーロッパ人がイメージしていた「優雅な中国婦人」が描かれており、日傘を差しながら自然の中を歩く様子や、静かに佇む姿が、ロマンティックな東洋趣味として演出されていました。いわば、オランダ人による“想像上の中国”が、プロンクの筆によって視覚化されたのです。

中国から日本へ——転写された異国趣味
プロンクの図案は中国へと送られ、実際に景徳鎮の工房で磁器として焼成されました。その後、こうしたデザインはさまざまなかたちでアジア各地にも伝播していきます。興味深いことに、「日傘の貴婦人」の図案はいつしか日本にも伝わり、肥前の有田や伊万里の陶工たちの手によって焼き物の装飾へと取り込まれるようになります。

しかし、日本においては、プロンクの原案がそのまま使用されたわけではありません。オリジナルの「中国風の婦人像」は、日本の職人たちの手によって、日本の貴婦人、すなわち着物を身にまとい、優雅な姿勢を取る和風の女性像へと変容を遂げたのです。これは、江戸時代の日本人の美意識や、異国趣味への柔軟な受容、そして独自の再解釈能力を示す好例といえるでしょう。

こうして生まれたのが、本作「日傘の貴婦人文皿」です。

伊万里焼と輸出磁器の魅力
「日傘の貴婦人文皿」は、伊万里焼の中でも輸出を目的として制作された「輸出伊万里」に分類されます。17世紀後半から18世紀にかけて、日本の伊万里焼はヨーロッパ各地で大変な人気を博し、王侯貴族の間ではこれを食器棚に飾ることが一種のステータスシンボルとなっていました。

本作もまた、鮮やかなコバルトブルーの下絵付けの上に、赤や金などの上絵付けが施されており、色彩と文様の調和が非常に洗練されています。中心の場面には、二人の女性が穏やかな風景の中で鳥を見つめる様子が描かれ、内縁には花のモチーフ、外縁には鳥や女性の図柄がパネル状に配されています。

その構図は、プロンクの原案の面影を保ちながらも、日本の装飾的な構成力によって再編されており、西洋と東洋の美の融合といった趣さえ漂わせます。皿の全体に広がる優雅で穏やかな空気感は、まさに江戸時代の工芸美の粋といえるでしょう。

誰がこの皿を手にしたのか
このような皿が作られた背景には、国際的な交易と民間商人の活躍があります。興味深いことに、プロンクが関わった中国の陶磁器は、オランダ東インド会社を通じてヨーロッパに輸出されましたが、日本の伊万里焼による同種の皿は、公式ルートではなく私貿易(プライベート・トレード)によって取引されたと考えられています。

つまり、日本の陶工たちは、プロンクのデザインにインスピレーションを得つつ、それを独自にアレンジし、東インド会社とは別ルートで欧米のバイヤーたちに提供していたのです。このような柔軟な市場対応は、江戸時代の陶磁器制作が決して閉鎖的ではなく、むしろ高度に国際感覚を持っていたことを示しています。

東西の美意識をつなぐ器物
この「日傘の貴婦人文皿」は、まさに東西文化の交差点に立つ工芸品です。ヨーロッパの想像力によって生まれたデザインが、中国を経由して日本に渡り、日本的な様式へと生まれ変わる。そしてその器が再び西洋へと渡っていく。まさにこの皿一枚の背後に、18世紀のグローバリズムともいえる壮大なネットワークが存在していたのです。

そこには異文化に対する敬意と憧れ、そして異なる美意識を柔軟に受け入れ、自国の感性へと翻訳していく創造的な力が感じられます。この皿が示すのは単なる「図案の借用」ではなく、異文化の吸収と再創造という、極めて洗練された文化交流のかたちです。

結びにかえて——静かなる対話の器
私たちがこの「日傘の貴婦人文皿」を見つめるとき、そこにあるのは単なる美しい意匠ではなく、時代を超えた人と人、文化と文化の静かな対話です。コルネリス・プロンクの筆が描いた「想像上の中国婦人」が、日本の陶工の手によって「現実の日本女性」へと変貌を遂げ、それが再び遠い西洋の地で美として受容される——この一連の流れこそ、人類の文化の豊かさそのものでしょう。

皿に描かれた貴婦人たちは、今日もなお静かに佇みながら、私たちに語りかけてきます。

画像出所:メトロポリタン美術館

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