【ブローニュの《キアサージ》(The “Kearsarge” at Boulogne)】エドゥアール・マネーメトロポリタン美術館所蔵

ブローニュの《キアサージ》──エドゥアール・マネと歴史の海
画家が見た現代の出来事
19世紀フランスにおいて、美術は急速に変化し、社会との関係性もまた深まっていった。そんな中で、エドゥアール・マネは新たな絵画の地平を切り開いた画家として知られている。彼の作品は古典的な技法を踏まえつつも、現代生活の一瞬を捉え、そこにリアリズムと詩的感性を融合させるものであった。
そのマネが1864年に描いた《ブローニュの〈キアサージ〉》は、彼にとって特別な意味を持つ作品である。というのも、この絵画はマネが初めて「現代の事件」に題材を求めたものであり、時代の動きに対する鋭い感受性と、それを美術として定着させる意思の表れでもあったからだ。
この作品を理解するには、当時の国際情勢、特にアメリカ南北戦争と、それに付随してフランス近海で起きた歴史的な海戦、そしてマネ自身の芸術的志向を併せて見ていく必要がある。本稿では、歴史的背景、マネの創作動機、絵画の構成と技術、そしてその美術史的意義を多角的に考察することで、この一見地味ながらも重要な作品の魅力に迫ってみたい。
1861年から1865年にかけてアメリカで勃発した南北戦争は、奴隷制の是非を巡って分裂した南北両陣営が激しく衝突した内戦であるが、その影響は大西洋を越えてヨーロッパにも波及した。特に、フランスやイギリスではこの戦争の行方に注目が集まり、新聞や週刊誌では頻繁に戦況が報じられた。
この戦争の中で、1864年6月19日にフランスのシェルブール沖で起きた「キアサージ号とアラバマ号の海戦(Battle of Cherbourg)」は、国際的な注目を集めた。アメリカ北部(連邦)の軍艦〈キアサージ〉が、南部(連合国)の襲撃艦〈アラバマ〉(CSS Alabama)を撃沈したこの戦いは、公海上での一騎打ちという劇的な展開もあり、欧州の新聞に大々的に取り上げられた。とりわけ〈アラバマ〉は英国で建造された船であり、英国が中立国であるにもかかわらず、連合国寄りの立場であるという疑惑も再燃した。
この戦いの後、勝者となった〈キアサージ〉はフランス北部の港町ブローニュ=シュル=メールに入港し、多くの市民がその雄姿を一目見ようと詰めかけた。エドゥアール・マネもその一人であり、この出来事が本作の直接的な契機となる。
マネはシェルブールの戦いそのものを目撃してはいないが、新聞報道に大きく刺激を受け、その印象をもとにまず一枚の油彩画《キアサージ号とアラバマ号の戦い》(The Battle of the “Kearsarge” and the “Alabama”)を制作する。これは現在、フィラデルフィア美術館に所蔵されている。その後、実際に〈キアサージ〉がブローニュに停泊している様子を訪れ、船を直接観察した経験をもとに、もう一枚の絵を制作した。それが本作《ブローニュの〈キアサージ〉》である。
このように、マネが初めて「目の前の現実」、すなわち歴史的事件を美術作品として描いたことは注目に値する。これ以前の彼の作品──たとえば《草上の昼食》や《オランピア》──は社会の現実を寓意的に捉えるものであったが、ここでは事実の描写そのものに価値を見出そうとしている。
加えて、マネのこのようなアプローチは、後の印象派における「日常の瞬間の描写」と通じるものがある。現代社会の中にある劇的瞬間──それが歴史の大きな波であれ、個々人の生活の断片であれ──をいかに芸術に昇華するかという問いは、ここに端を発しているとも言える。
本作《ブローニュの〈キアサージ〉》は、油彩によるキャンバス画で、構図としてはきわめてシンプルである。画面中央にどっしりと構えるのが〈キアサージ〉号で、その背後には空と海が広がっている。水平線は画面の中程に引かれており、船体は画面の三分の一ほどを占めている。
まず目に飛び込んでくるのは、船の重厚な存在感である。マネは過剰なディテール描写を避け、黒やグレーを基調とした筆致で船体を描いている。写実的というよりは、印象的、あるいは象徴的な表現に近い。船の細部には陰影が加えられ、鉄と木の質感が感じられるが、あくまで全体の造形と空間に調和する形で処理されている。
海は静かにたゆたっており、戦いの興奮はもはやなく、ただ過ぎ去った事件の余韻だけが漂っている。空は曇天とも晴天ともつかない灰青色で、劇的な光の効果は避けられている。マネはここで、騒乱の中にある英雄的叙事詩ではなく、事件の「その後」にある静けさ、いわば歴史の波が引いたあとの海を描こうとしているのだ。
マネの筆致は、この作品でも明確である。平坦な面とざらついた質感を巧みに組み合わせることで、対象に「物体としての確かさ」と「目で見る印象としてのあいまいさ」の両方を与えている。これは、後の印象派が展開する即興的な筆触とは一線を画しながらも、それを先取りする試みともいえる。
また、色彩も注目に値する。マネは海と空と船を、抑制された寒色系のグラデーションで統一しており、静謐なムードが画面全体を包んでいる。画面のどこかに赤や金などの派手な色を入れて視線を集める手法は用いられていない。むしろ、その抑えた色使いによって、観る者の視線は船の「静けさ」と「重み」に自然と導かれていく。
ここにあるのは、歴史をロマン化せず、むしろそれを現代の風景として静かに提示するというマネの姿勢である。英雄譚ではなく、目撃者としての画家のまなざしが貫かれている。
《ブローニュの〈キアサージ〉》は、マネの画業において一種の転換点とも言える。彼が芸術を通じて「時代の証人」となることを試みた最初の作品であり、そこには報道写真や新聞挿絵とは異なる「絵画としての歴史記録」の在り方が示されている。
また、この作品は近代絵画が「歴史をどう描くか」という問いに対して、新たな答えを提示した例でもある。歴史画といえば、かつては神話や聖書、英雄の栄光を描くものであった。しかし、マネは実在の戦艦を描くことで「私たちの時代」の記録としての絵画を提案したのだ。
この視点は、後のクールベ、ドガ、さらには印象派たちに引き継がれていく。「私たちの時代を、私たち自身の眼で描く」という現代美術の基本理念は、ここに端を発していると言っても過言ではない。
エドゥアール・マネの《ブローニュの〈キアサージ〉》は、一見すると地味な海洋画に過ぎないように見えるかもしれない。しかしその奥には、時代を見つめる鋭い視線と、絵画というメディアを通じて歴史を記録しようとする意思が息づいている。
それは戦場の喧騒ではなく、港に静かに停泊する軍艦の姿であり、勝利の歓声ではなく、出来事の余韻をたたえた水平線である。マネはこの作品を通じて、絵画ができること──現実の一瞬を永遠に封じ込め、後世に語り継ぐこと──を、静かに、しかし確かな筆致で私たちに示している。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。