【麦わら帽子のギュスターヴ・ボワイエ】ポール・セザンヌ‐メトロポリタン美術館所蔵

【麦わら帽子のギュスターヴ・ボワイエ】ポール・セザンヌ‐メトロポリタン美術館所蔵

麦わら帽子のギュスターヴ・ボワイエ――セザンヌの青春と肖像の記憶

ポール・セザンヌは、19世紀末から20世紀初頭にかけての西洋美術において、極めて重要な転換点を築いた画家である。彼の作品は印象派からポスト印象派、さらにはキュビスム以降のモダニズムへの橋渡しをするものであり、パブロ・ピカソやアンリ・マティスをはじめとする多くの後進の芸術家たちに強い影響を与えた。

そんなセザンヌが1870年から1871年にかけて描いた肖像画《麦わら帽子のギュスターヴ・ボワイエ》は、彼の初期から中期にかけてのスタイルの変遷や人間関係を考察する上で、重要な作品の一つである。今回のエッセイでは、この絵画を中心に、モデルとなったギュスターヴ・ボワイエとの関係性、当時のセザンヌの画風、そして肖像画に込められた時代背景を紐解いていく。

《麦わら帽子のギュスターヴ・ボワイエ》に描かれているのは、セザンヌの少年時代からの友人、ギュスターヴ・ボワイエである。彼は1840年生まれで、セザンヌと同じエクス=アン=プロヴァンスの出身であり、若い頃からの知り合いだった。職業は弁護士で、画家とは異なる道を歩んだが、セザンヌの創作において何度か肖像のモデルを務めており、本作を含め1870年前後に少なくとも3点の肖像が描かれたとされている。

興味深いのは、20世紀初頭の美術研究者たちの一部がこの作品に描かれている人物をセザンヌ本人だと誤認していたことである。頬に長く伸びた「モutton-chop(ラムチョップ)風」のもみあげが、セザンヌが自己肖像に好んで描いたスタイルに似ていたため、誤解を招いたのだろう。しかし現在では、この人物がボワイエであることが明らかになっている。友人として、また信頼のおける人物として、セザンヌが繰り返し彼を描いたことは、その絆の深さを物語っている。

本作はキャンバスに油彩で描かれており、現在はニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されている。画面中央には、麦わら帽子をかぶった中年の男性が、正面やや左を向いて腰掛けている。背景は比較的簡素で、人物の存在感が際立つ構図となっている。

この絵の最大の特徴の一つは、帽子の存在である。麦わら帽子は、素朴でありながらも個性的なアクセントとして機能しており、画面に軽やかさと温かみを加えている。それは、ボワイエの職業的な堅さとは対照的に、画家との私的な関係性や、南仏プロヴァンスの穏やかな日差しを想起させる装いでもある。

表情は穏やかだが、どこか沈思黙考の趣もあり、モデルが内面に複雑な感情を抱えていることを感じさせる。目の奥には、何かを見つめながら思索に耽るような静けさがあり、それがこの肖像に深みを与えている。

1870年代初頭という制作年から考えると、この作品はセザンヌがパリでの生活を経て、故郷プロヴァンスに戻った時期の作品と考えられる。ちょうど普仏戦争(1870–71年)の影響を受けて一時帰郷していた時期でもあり、この肖像画もそうした状況下で描かれたと推測される。

画面をよく見ると、筆致は力強く、色の重なりは厚く、決して滑らかではない。色調には黒や灰色が大胆に使われており、全体に落ち着いた印象を与えている。この「黒」の使い方は、セザンヌが後に印象派から距離を置き、構築的で形式的な画面を志向するようになる萌芽を感じさせる。

特に注目すべきは、形態の捉え方である。輪郭線は曖昧にならず、モデルの顔立ちや帽子、衣服のシルエットは明瞭に描き出されている。これは、セザンヌが単なる視覚の再現を超えて、物体の「存在感」や「質量感」を画面に定着させようとする姿勢の表れでもある。

本作が描かれた1870–71年という時期は、フランスにとって激動の時代であった。普仏戦争によりナポレオン3世の第二帝政は崩壊し、パリ・コミューンの蜂起が起こるなど、社会は混乱に陥った。セザンヌもこの時期、パリを離れて故郷に戻っていた。

こうした不穏な時代背景の中で、この肖像画が持つ静けさは際立っている。戦火の届かない片田舎の室内で、友人が座っている――そんな何気ない情景の中に、どこか時代の不安や揺らぎが滲み出ているようにも見える。セザンヌはこの作品を通じて、激動の外界とは対照的な「内面の世界」や「個人的な記憶」に目を向けていたのではないだろうか。

セザンヌは静物や風景画で知られているが、肖像画も彼の制作において重要な位置を占めている。とりわけ、家族や親しい友人、村人などをモデルとした作品が多く、そこには外部の美術市場やサロンに迎合しない、私的で誠実な眼差しが込められている。

《麦わら帽子のギュスターヴ・ボワイエ》も、こうしたセザンヌの「内輪の肖像画」の系譜に位置づけられる。これは、商業的な肖像画とは異なり、芸術家自身が被写体との関係性を通して、人間の存在や時間の痕跡を追求する営みであった。

この絵の前に立つと、まるで画家とモデル、あるいは鑑賞者とモデルとの間に静かな対話が生まれるような感覚を覚える。それは、セザンヌが生涯にわたり追い求めた「見えるものの背後にある真実」に触れるような体験である。

《麦わら帽子のギュスターヴ・ボワイエ》は、単なる肖像画ではない。そこには、画家とモデルとのあいだに流れる長年の友情や、戦乱の中で変わりゆく時代への静かな応答、そして芸術家としての模索と成長が刻まれている。

この作品を通じて私たちは、セザンヌという一人の画家が、どのようにして身近な人々の顔や佇まいの中に、普遍的な「かたち」や「存在」の真理を見出そうとしたかを垣間見ることができる。

セザンヌが晩年に語った「自然を円筒、球、円錐として扱うべきだ」という言葉はよく知られているが、その抽象的な理念の背後には、こうした具体的な人間関係の積み重ねがあったのだ。ギュスターヴ・ボワイエという友人の姿は、今も静かに、私たちにそれを語りかけている。

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