【マンドリンを持てる女】黒田清輝‐黒田記念館所蔵

【マンドリンを持てる女】黒田清輝‐黒田記念館所蔵

黒田清輝による《マンドリンを持てる女》は、1891年(明治24年)にフランス滞在中に描かれた油彩作品であり、現在は東京・上野の黒田記念館に所蔵されている。比較的小ぶりな画面に、マンドリンを手に静かに佇む若い女性の姿が描かれた本作は、明治日本における西洋画導入の歴史の中でも、特に象徴的な位置を占めている。そこには、黒田がパリ近郊の自然と人々に囲まれて磨いた眼差しと、個人的な感情、そして時代の空気が凝縮されている。

1884年、18歳の黒田清輝は法律を学ぶ目的でフランスへ渡航した。しかし、滞在先で画家ラファエル・コランの作品と出会い、芸術の道へ進む決意を固める。以降、彼はパリでアカデミックな絵画技術を学ぶと同時に、当時流行しつつあった印象派や外光派の動向にも深い関心を寄せた。特に、パリ郊外のグレー=シュル=ロワン(Grèz-sur-Loing)に長く滞在し、自然光を活かした絵画制作に取り組んだことが、のちの作風に決定的な影響を与える。

《マンドリンを持てる女》が描かれたのは、ちょうどそのグレー滞在中のことであった。黒田が暮らしていた下宿先の娘マリア・ビヨーがモデルを務めているとされ、彼女は後の《読書》や《編物》のモデルでもある。つまりこの作品は、単なる人物画ではなく、黒田の私的な感情や日常に根差した感覚が内在している、極めて個人的な表現でもあった。

画面には、女性が一人、やや斜め向きに腰かけ、マンドリンを手に静かに佇んでいる様子が描かれている。彼女の顔は穏やかで、ややうつむき加減の視線が、音楽の余韻に浸るような印象を与える。ポーズは特段劇的ではないが、全体に張りつめた静けさが満ちている。

黒田自身が書簡で述べているように、本作には「女が琵琶を弾き終りてなにか物を思たりと云様な風情」を意図したという。つまり、音楽が終わった直後の、感情の揺れや記憶の回帰を含んだような、内省の瞬間がとらえられている。音楽という無形の芸術が去ったあとに残る「沈黙」が、視覚芸術である絵画によって、逆説的に浮かび上がっているのである。

このような感情の余韻を繊細に描き出す手法は、外光派や印象派が重視した「一瞬の感覚のとらえ方」と通じるものであり、また、アカデミックな素描力と構成力を土台としている点においては、黒田の技術の成熟を示すものであった。

作品全体に用いられている色彩は、穏やかで柔らかく、自然光が優しく人物に差し込んでいる。背景はほの暗く落ち着いた色調で統一され、人物の存在感を際立たせる構成になっている。衣服には繊細な光の反射が描かれ、布の質感や重さが丁寧に表現されている。マンドリンの木目や金属部分の描写も精緻で、物質のリアリティが失われることなく、画面に安定感をもたらしている。

このような光と質感の扱いは、彼が師事したラファエル・コランの影響を感じさせるとともに、単に写実を追うのではなく、全体の調和と感情の抑制された表現を志向する、黒田自身の美学の形成を示している。

本作は、黒田がフランス滞在中にサロン出品を目指して制作した作品のひとつである。彼は1890年のサロンに出品すべくこの絵に取り組んだが、期限に間に合わず翌年の出品となった。しかし、結果は落選。かわりに出品された《読書》のみが入選を果たした。

この事実は、一見すると挫折のように見えるが、実際にはその後の黒田にとって重要な転機であったといえる。サロンでの評価にこだわるよりも、自身の表現を貫き、日本に持ち帰るべきものが何かを見極める契機となったからである。

1893年に黒田は帰国し、翌年には東京美術学校の教授に就任、以後、西洋画教育の中心的存在となる。彼が指導した白馬会や「外光派」的写実主義は、日本における近代洋画の基盤となった。つまり、《マンドリンを持てる女》は、彼がフランスで培った芸術観を最も濃密に体現した作品であり、それがそのまま日本の美術界に伝播していく最初の一歩でもあった。

この作品を通じて黒田は、単に西洋の技術を模倣するのではなく、そこに日本人としての感性や静かな情緒を加え、新しい「日本の洋画」を模索した。その試みが成功していたことは、現在もなお多くの人々にこの作品が愛され、鑑賞され続けている事実に示されている。

《マンドリンを持てる女》は、単なる一人の女性像である以上に、明治という時代の空気や、芸術家黒田清輝の内面、そして西洋と日本の出会いが織り込まれた肖像でもある。画面に描かれるのはフランスの娘であっても、その姿には日本の美的感受性が深く染みこんでいる。そしてそれは、音楽の終わりに訪れる沈黙と余韻のように、観る者に静かな問いかけを投げかけてくる。

絵画とは、音を発しない芸術である。しかし《マンドリンを持てる女》には、確かに音楽が存在している。マンドリンの音が響き、消え、そして静寂のなかに残る余韻――その気配を、黒田は筆致によって留めようとした。だからこそ、この作品には、視覚を超えた感覚の広がりが感じられるのである。

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