
明治維新後、西洋文化が急速に流入し、日本社会は近代国家としての基盤づくりを進めていた。美術の領域においても、日本画の再興と並行して、フランスを中心とするヨーロッパの絵画技法が導入され、近代洋画の確立が志向された。その中心的存在として知られるのが、黒田清輝(1866–1924)である。彼は日本におけるアカデミスム絵画の導入者にして、後の白馬会の創設者でもあり、東京美術学校(現在の東京藝術大学)において多くの後進を育てた。
そんな黒田の初期の作品の一つとして重要視されているのが、《ら体・男(半身)》である。この作品は、1889年(明治22年)、黒田がフランス・パリのアカデミー・コラロッシに学んでいた頃に制作された油彩画で、現在は黒田記念館に所蔵されている。カンヴァスに描かれた本作は比較的小ぶりなサイズながら、人体の描写に対する鋭敏な観察力と、光と影の表現における写実的追求が際立っている。
フランス留学とアカデミックな修練黒田清輝は当初、法律を学ぶためにフランスへ渡航したが、パリでラファエル・コランと出会ったことを契機に、画家への道を歩むことになる。彼が学んだアカデミー・コラロッシは、官学的なアカデミー・ジュリアンとは異なり、より自由な雰囲気を持ちながらも、人体描写を重視する伝統的な教育方針を堅持していた。
本作《ら体・男(半身)》は、まさにそのような教育課程の一環として描かれたものである。タイトルの「ら体」は、人体を写生する「裸体(らたい)」、すなわち「裸婦」や「裸像」などの略語的表現であり、ここでは若い男性の上半身が描かれている。描かれた人物は、右肩をやや前方に出し、頭部を左に傾けた姿勢を取っている。表情は穏やかであるが、筋肉のつき方や皮膚の質感、骨格の構造などが緻密に観察されており、黒田が解剖学的知識を基に描写を行ったことがわかる。
この作品に取り組んでいた時期、黒田はアカデミーでの制作と並行して、美術学校の解剖学の講義にも出席していた。彼はそのことを日本の養母に書き送った手紙の中で、「ほんとうのひとののしがいをそこにすゑてをいてそうしてにくなどを引っ張り題してこうしゃくをするのですからなかなかよくわかります」と記している。遺体解剖の実見を通じて、筋肉の配置や関節の構造を体感的に理解することが、彼の絵画に深みと説得力を与えたことは間違いない。
実際、《ら体・男(半身)》に描かれたモデルの胸部や肩の筋肉は、単に輪郭をなぞっただけでは表現できない立体感を持ち、光の当たり具合によって陰影が微細に変化している。特に、左鎖骨の下部に見られる柔らかなハイライトと、胸骨にかかる半透明な陰影は、皮膚の下にある構造体を熟知している画家だからこそ表現できたものである。
本作の特徴は、構図そのもののシンプルさとは裏腹に、光の描写における緻密な設計にある。背景は暗く抑えられ、モデルの肉体だけが柔らかな光に包まれるように描かれている。光源は斜め上方からと見られ、右肩や胸部、頬骨のあたりが最も明るく、そこから滑らかに陰影が広がっている。このような明暗法(キアロスクーロ)は、ルネサンス以来の伝統を受け継ぐものであり、コランやアカデミーの指導方針にもとづくものである。
また、陰影の中に潜む微妙な色の変化にも注目したい。単純に「黒」で影を描くのではなく、赤みがかった茶色やグレーを用いることで、皮膚の温度感や血の通った感触が伝わってくる。ここには、光と影を色彩で描くという、当時の印象主義とはまた異なる、写実的リアリズムの精神が息づいている。
黒田は当時、まだ画業を始めて数年であり、いわば「修行時代」の只中にあった。しかしながら、この《ら体・男(半身)》には、すでにひとつの完成されたスタイルが芽生えつつある。それは、対象を写実的に観察し、表面的な美しさではなく、肉体の持つ本質的な造形に迫ろうとする真摯な姿勢である。
また、本作は「裸体=学術的修練の対象」として描かれている点も重要である。ヨーロッパの美術教育において、裸体デッサンは最も基本かつ重要な訓練の一つであり、それによって画家は人体構造の理解、質感の描写、陰影の扱い方などを体得していった。黒田もまた、単に形式的に裸像を模写するのではなく、骨格や筋肉、皮膚のつながりを深く観察し、自らの絵筆によりその知覚を表現することに挑んでいたのである。
この作品が持つ美術史的意義は、単なる練習作の域を超えている。明治20年代、日本ではようやく本格的な洋画教育が制度的に整備され始めた段階であり、その中心にいた黒田が、すでにアカデミスムの正統を体得していたことは、後の日本洋画界にとって計り知れない意味を持つ。本作の写実性は、単に技巧的な再現力ではなく、観察力と構造理解、そして精神的な集中力をもって描かれたものであり、日本の美術学生たちにとって模範となるべきモデルであった。
黒田自身が日本に帰国後、東京美術学校で裸体画教育を導入し、後の白馬会の展開へと繋げていったことを思えば、この《ら体・男(半身)》は、まさにその出発点にあたる「基礎石」として位置づけられるべきであろう。
《ら体・男(半身)》は、外見的な美やドラマ性よりも、純粋な造形美と光の構造に焦点を当てた作品である。黒田清輝がこの作品を通じて示したのは、身体という自然物に内在する秩序と、そこに宿る生命の痕跡を、画筆によってどこまで写しとれるかという、芸術家としての誠実な問いかけである。
日本の近代洋画が、単なる技術輸入ではなく、深い思想と知性を伴った「文化の越境」として成立していくその萌芽を、私たちはこの一枚の中に見出すことができるのである。
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