【聖ゲオルギウス】コズメ・トゥーラーサンディエゴ美術館

異形の聖性が立ち上がる瞬間
コズメ・トゥーラ《聖ゲオルギウス》とフェラーラ派の革新的想像力
15世紀イタリア美術は、しばしば「調和」「理性」「理想美」という言葉で語られる。しかし、その均整のとれた歴史像の周縁には、異質で、尖鋭で、時に不穏な輝きを放つ表現が確かに存在していた。フェラーラ派の画家コズメ・トゥーラは、その代表的存在である。彼の作品は、ルネサンスの中心都市フィレンツェとも、色彩の都ヴェネツィアとも異なる方向性を示し、独自の精神的緊張を湛えている。
《聖ゲオルギウス》(1475–76年頃)は、トゥーラ芸術の核心を示す一点である。現在サンディエゴ美術館に所蔵されるこの板絵は、かつてフェラーラの教会に据えられていた大規模祭壇画の一部であったと考えられている。中央に聖母子像を戴き、その左右に聖人像が配された構成のうち、本作は左翼パネルを成していた可能性が高い。今日、単独で展示されるこの像は、断片でありながら、完結した精神的存在感を放っている。
描かれているのは、竜退治の英雄として知られる軍人聖人ゲオルギウスである。しかし、トゥーラは物語的場面を排し、聖人を静止した肖像として提示する。正面を強く意識した立ち姿、引き締まった口元、兜の奥から鋭く放たれる視線。それは奇跡を語る身振りではなく、沈黙のなかで信念を内に宿す存在の姿である。
この聖ゲオルギウス像が強い現実感をもつ理由の一つは、その肖像的性格にある。顔貌の個別性、肉付きの生々しさ、そしてどこか世俗的な緊張を帯びた表情は、単なる理想化された聖人像を超えている。一部の研究者が指摘するように、寄進者一族の人物がモデルとなっていた可能性は十分に考えられる。祭壇画が信仰と記念を兼ねる装置であった当時、聖人像に自己の姿を仮託することは、決して例外的な行為ではなかった。
造形面に目を向けると、トゥーラの特異性はいっそう明確になる。筋肉は誇張され、鎧や衣装は彫刻のような硬質感をもって描かれる。人体は柔らかな肉体というよりも、緊張を孕んだ構造体として表現され、そこにはルネサンス的理想美とは異なる価値観が見て取れる。うねる布の襞、金属の冷たい反射、宝石の鋭い輝き――それらはすべて、視覚的快楽と同時に、ある種の不安を鑑賞者に与える。
技法的にも本作は過渡期的性格を備えている。テンペラを基盤としながら、油彩の効果を積極的に取り入れることで、透明感のある陰影と質感描写を実現している点は注目に値する。これはフランドル絵画の影響を示すものであり、ヤン・ファン・エイクやロヒール・ファン・デル・ウェイデンに通じる精緻さと冷静さが、トゥーラの画面にも確かに息づいている。
フェラーラという都市の文化的特質も、この作品を理解するうえで欠かせない。エステ家の庇護のもとで育まれたフェラーラ宮廷文化は、写本装飾や寓意的表現を重視し、幻想性と知性を併せ持つ芸術を生み出した。トゥーラはその中心に位置し、後進のエルコーレ・デ・ロベルティやフランチェスコ・デル・コッサへと続く系譜の礎を築いた画家である。
20世紀以降、マニエリスムや幻想的美術への関心が高まるにつれ、トゥーラの評価は大きく変化した。均整からの逸脱、誇張された身体表現、強烈な装飾性は、もはや「異端」ではなく、ルネサンスの多様性を示す重要な証左として理解されるようになった。《聖ゲオルギウス》は、その再評価の象徴的存在である。
この聖人像は、信仰の象徴であると同時に、15世紀フェラーラの精神を体現する「永遠の肖像」である。断片として残された一枚の板絵は、かつての壮大な祭壇の記憶を宿しながら、今なお観る者に問いを投げかける。理想とは何か、聖性とはどこに宿るのか――トゥーラの描いた異形の聖人は、その沈黙のまなざしで、現代の私たちにも静かに語りかけているのである。
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