【舞妓林泉】土田麦僊‐東京国立近代美術館

【舞妓林泉】土田麦僊‐東京国立近代美術館

土田麦僊の「舞妓林泉」(1924年制作)は、大正時代における日本画の重要な作品の一つであり、画家の土田麦僊が持つ近代的な絵画観を如実に表しています。この作品は、麦僊が20代後半から30代初めにかけて、ヨーロッパ遊学の成果を反映させた作品であり、伝統的な日本画の枠を超えて、近代絵画の技法や概念を取り入れた新しい時代の表現を追求しています。
土田麦僊(1887年-1936年)は、日本の近代画家として知られ、特に国画創作協会の創立メンバーとして、その画業は日本の近代美術の発展に大きな影響を与えました。麦僊は、初期には伝統的な日本画に基づきながらも、次第に西洋の美術、特に印象派やルネッサンス絵画から多大な影響を受け、独自の作風を築いていきました。

麦僊が美術を学んだ最初の時期には、日本画の基本に従いながらも、次第に西洋画に対する関心を強め、特にゴーギャンやルノワールなどの後期印象派の影響を受けていました。しかし、1918年に国画創作協会の第一回展に出品した作品《湯女(ゆな)》において、麦僊は日本的な素材を持ちながらも、西洋絵画の技法や色彩感覚を取り入れ、革新的な表現を試みました。この時期から、彼は日本画に対する新しいアプローチを模索し始め、やがてヨーロッパへの遊学という大きな転機を迎えます。

麦僊は、1921年から1923年にかけてヨーロッパに留学し、イタリア初期ルネッサンス絵画や近代絵画を中心に学びました。この時期のヨーロッパでの経験は、彼の絵画に大きな影響を与え、帰国後の作品にその成果が顕著に現れます。特にイタリアルネッサンスの厳密な構成と近代絵画の感覚を学び、麦僊はこれらを自らの作風に組み込んでいきました。

ヨーロッパでの遊学を通じて、麦僊は単なる技術的な学びだけでなく、絵画における理論的・構成的な視点をも深めることができました。この時期の彼は、絵画が持つ視覚的な力と、作品を通して表現される精神性とのバランスを重視し、画面上の「秩序」を重要なテーマとしました。この秩序感覚は、帰国後の作品において顕著に表れます。

「舞妓林泉」は、1924年に制作された土田麦僊の代表作の一つで、国画創作協会第4回展に出品されました。舞妓という日本の伝統的な職業をテーマにしており、京都の南禅寺の天授庵の庭を背景に舞妓が描かれています。この絵は、風景と人物が一体となって、厳格な構成の中で平面的に描かれています。人物の表現は、表情や動きに重きを置くというよりも、シンプルで洗練された形にまとめられ、全体的に緊密で調和の取れた構図が特徴的です。

舞妓は、絢爛たる着物を着て、静かに佇んでいる姿が描かれており、その背後には美しい庭の風景が広がっています。麦僊は、人物と背景を一つの統一された空間として捉え、風景もまた人物の一部として溶け込むように配置しています。舞妓の周囲の空間には、無駄な装飾や細部は排除され、全体的にシンプルでありながら、力強い印象を与える美しい画面構成が際立っています。

「舞妓林泉」の最大の特徴は、風景と人物の平面的な表現と、厳格な構成秩序にあります。麦僊は、ヨーロッパで学んだルネッサンス絵画の「構成的な秩序」を徹底的に追求しました。この絵画の人物と風景は、すべてが幾何学的な秩序に基づき配置され、平面的な表現が強調されています。このような構成は、従来の日本画が持っていた自然主義的な描写とは一線を画し、近代的な視覚感覚に基づく新しい美を提示していると言えるでしょう。

人物の衣装や顔立ち、さらには周囲の自然風景に至るまで、麦僊は過剰な写実を避け、装飾的で簡潔な形態を取ることで、全体の調和と美的な均衡を保っています。この平面的なスタイルは、彼が強調したい「絵画的純粋さ」に対する彼自身の探求心を反映したものです。つまり、麦僊は人物や風景が持つ物理的な美しさを超えて、絵画自体が持つ視覚的な美を追求したのです。

麦僊は「舞妓林泉」を制作するにあたり、「純絵画的の眼の仕事」と述べており、これが彼の芸術的な意識の中核をなしています。この言葉は、彼が絵画を通じて表現したかった「純粋な美」を追求したという意図を示しています。彼は絵画における美を、単なる外的な美しさとしてではなく、作品自体の構成と秩序、さらにはそれを感じ取る鑑賞者の精神的な反応に重きを置きました。

麦僊が描く「純絵画的の眼」というのは、絵画を通して表現される本質的な美を見出す力であり、絵画の形式や技法そのものに対する深い洞察を示しています。この「純絵画的な眼」を通じて、彼は自らの理想とする日本画の新しい可能性を切り開こうとしたのです。彼の作品は、絵画という表現媒体が持つ可能性を追求した結果として、近代日本画の一つの頂点を形成することとなります。

「舞妓林泉」における舞妓というテーマは、日本の伝統的な美と文化を象徴しています。舞妓は、古来から日本の美的文化を体現する存在であり、その美しい着物や動作、しぐさは、日本人が大切にしてきた美意識を象徴しています。この絵に描かれた舞妓は、単なる職業的な存在としてではなく、日本の美的理想の具現化として描かれており、麦僊の芸術観における重要なテーマとなっています。

また、背景の天授庵の庭も、古典的な日本の美を象徴するものであり、麦僊はこの風景を通じて、自然と人間、さらには美の概念が調和する世界を描いています。この点において、彼は日本の伝統文化に対する深い敬意を表しつつも、近代的な視覚的アプローチを加え、日本画の新しい可能性を模索しています。

「舞妓林泉」は、土田麦僊が追求した近代的な絵画の理想を具現化した重要な作品です。彼は、この作品を通じて、絵画の構成と秩序を重視し、平面的で洗練された表現を選びました。また、絵画を単なる外的美の表現にとどまらず、絵画そのものの美しさや精神的な価値を追求しました。麦僊の「純絵画的眼」の表現は、彼が近代日本画を革新するために行った探求を示しており、この作品はその成果を示す重要なものと言えるでしょう。

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