【双鶴置物】塚田秀鏡、黒川義勝-皇居三の丸尚蔵館収蔵

双鶴置物
金属に宿る祝意と生命のかたち

 金属という冷ややかな素材が、ときに驚くほどの生命感を帯びる瞬間がある。皇居三の丸尚蔵館に所蔵される「双鶴置物」は、その最たる例であろう。1915年(大正4年)に制作された本作は、彫金師・塚田秀鏡と鍛金師・黒川義勝という、当代一流の金属工芸家二人の協働によって完成した。そこに表されているのは、番(つがい)として寄り添う二羽の丹頂鶴である。静かに向き合い、あるいは同じ方向を見つめるその姿は、単なる写実を超え、時代の精神と祝意を内包した象徴的造形として私たちの前に立ち現れる。

 丹頂鶴は、日本文化において特別な位置を占める存在である。長寿、吉祥、純潔、そして夫婦和合の象徴として、古来より絵画や工芸、能や和歌に至るまで繰り返し取り上げられてきた。とりわけ二羽の鶴が寄り添う姿は、個の生命を超えた調和と持続を暗示する。本作においても、その象徴性は明確でありながら、過度な寓意に陥ることなく、あくまで自然の一瞬を切り取ったかのような静謐さを保っている点が注目される。

 本作が制作された背景には、大正天皇の即位に伴う大礼という国家的儀礼がある。「双鶴置物」は、この大礼に際し、皇太子裕仁親王から大正天皇へと献上されたものであり、単なる装飾品ではなく、祝賀と敬意、そして皇統の安寧を祈る象徴的贈答品であった。ここで重要なのは、選ばれた主題と素材、そして技法が、いずれもその目的に即して高度に統合されている点である。

 塚田秀鏡による彫金は、丹頂鶴の羽毛や脚部、頭部の微細な起伏において遺憾なく発揮されている。金属表面に刻まれた羽毛の線は、単なる装飾的パターンではなく、鳥類特有の構造と流れを正確に捉えており、写実性と装飾性の均衡が極めて高い水準で保たれている。とりわけ、光の当たり方によって陰影が微妙に変化する彫りの深浅は、鑑賞者の視点を誘導し、作品に静かなリズムを与えている。

 一方、黒川義勝の鍛金は、鶴の胴体や翼の量感、全体の構成において決定的な役割を果たす。叩き延ばされ、曲げられた金属は、本来の硬質さを忘れさせるほどしなやかであり、そこには重量と軽やかさが同時に存在している。特に二羽の鶴が形成する緩やかな曲線の連なりは、個体としての存在感を保ちながら、全体として一つの調和した造形を生み出している。

 素材の選択と使い分けもまた、本作の完成度を高める重要な要素である。異なる色味をもつ金属が部位ごとに用いられることで、丹頂鶴特有の白と黒、そして頭頂部の赤を暗示する視覚的効果が巧みに表現されている。彩色に頼らず、素材そのものの色調と質感によって生き物の特徴を示す手法は、金属工芸ならではの節度と知性を感じさせる。

 「双鶴置物」は、彫金と鍛金という異なる技法が、明確な役割分担のもとで融合した稀有な作例である。そこには、個々の技術の競合ではなく、相互補完による完成度の追求が見て取れる。この協働のあり方そのものが、寄り添う二羽の鶴の姿と重なり合い、作品全体に象徴的な深みを与えている点は見逃せない。

 大正という時代は、伝統と近代、儀礼と個人表現がせめぎ合う過渡期であった。その中で生み出された本作は、伝統工芸の技術を基盤としながらも、単なる復古にとどまらず、近代国家としての日本が理想とした調和と品格を体現している。祝意を内包しつつも過剰に語らず、権威を示しながらも静かである。その抑制された美意識こそが、「双鶴置物」を時代を超えて鑑賞に耐える作品たらしめている。

 金属に刻まれた二羽の鶴は、今なお静かに寄り添い続けている。その姿は、過ぎ去った大礼の記憶を伝えると同時に、日本の工芸が到達した一つの高みを、無言のうちに語りかけてくるのである。

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