【狂獅子置物】明治時代-皇居三の丸尚蔵館収蔵

狂える王の舞
明治鋳金が宿した獅子の躍動と象徴

 金属の肌に、今なお熱を帯びた動きが封じ込められている。明治時代に制作された銅製鋳造作品《狂獅子置物》は、獅子という古来より威厳と守護を担ってきた存在を、あえて「狂」という言葉で名指すことによって、従来の象徴秩序に揺らぎと躍動を与えた、きわめて特異な金工芸作品である。それは単なる戯画的表現ではなく、近代日本が直面した文化的転換の只中で生まれた、新しい精神の造形的結晶として理解されるべきものであろう。

 獅子は東洋世界において、長きにわたり特別な意味を帯びてきた想像上の王獣である。インドや中国を起源とし、仏教文化とともに日本へと伝来した獅子は、現実の動物であると同時に、超越的な力を宿す存在として受容されてきた。寺院の門前に立つ狛犬や、祭礼で舞われる獅子舞に見られるように、獅子は邪を祓い、秩序を守り、場を清める役割を担ってきた。その一方で、百獣の王としての威厳、さらには牡丹と結びつくことで富貴や繁栄を象徴する吉祥の存在として、工芸や絵画の中で繰り返し表現されてきたのである。

 《狂獅子置物》における獅子は、こうした伝統的象徴性を踏まえつつも、静止した威厳の像ではなく、激しく身をよじり、戯れ、舞う姿として造形されている。前脚を踏み込み、体幹を捻り、鬣を逆立てるその姿は、均整や対称を意図的に崩し、瞬間的な動勢を強調する。そこには、力の制御ではなく、力の解放が表現されている。いわば、秩序の象徴であった獅子が、一瞬、秩序から解き放たれた姿こそが「狂獅子」なのである。

 このような造形感覚は、獅子舞との強い連関を想起させる。獅子舞において獅子は、時に荒々しく、時に滑稽に舞い、観る者を圧倒すると同時に笑わせる存在である。そこでは威厳と親しみ、神聖と娯楽が不可分に結びついている。《狂獅子置物》もまた、恐るべき王獣でありながら、どこか人間的な愛嬌や遊戯性を帯びており、見る者の感情を一方向へと固定しない多義性を備えている。

 技法の面から見ると、本作は明治期鋳金技術の成熟を示す好例である。銅を素材とした鋳造は、形態の自由度が高い反面、細部表現においては高度な設計と仕上げを必要とする。《狂獅子置物》では、鋳肌の起伏が巧みに活かされ、獅子の筋肉の張りや毛並みの流れが、過度な写実に陥ることなく表現されている。鋳上がり後の仕上げによって与えられた表面の抑揚は、光を受けて陰影を生み、獅子の動きをいっそう強調する。

 注目すべきは、こうした躍動的表現が、単なる技巧の誇示ではなく、明治という時代精神と深く呼応している点である。明治日本は、西洋文化の急激な流入によって、価値観や美意識の再編を迫られていた時代であった。伝統は守るべき遺産であると同時に、再解釈され、更新されるべき対象ともなった。その中で工芸は、単なる古典の模倣ではなく、近代国家の威信と文化的成熟を示す手段として、新たな表現を模索していた。

 《狂獅子置物》が、霞ヶ関離宮などの宮廷的空間で用いられていたとされる点も、この作品の性格を雄弁に物語っている。離宮や官邸は、国家の権威を内外に示す舞台であり、そこに置かれる美術品には、威厳と同時に洗練、さらには時代性が求められた。静的で厳粛な獅子像ではなく、あえて「狂」の相を見せる獅子が選ばれたことは、明治国家が単なる伝統の継承者ではなく、変化と活力を内包する存在であることを示唆している。

 また、獅子と牡丹の結びつきが暗示する富貴や繁栄の象徴性も、本作の背景に通奏低音として流れている。直接的に牡丹が表現されていなくとも、獅子という存在そのものが、繁栄と吉祥の記号として機能している。舞い踊る獅子の姿は、災厄を祓い、新たな運気を呼び込む儀礼的身振りとして解釈することもできよう。

 《狂獅子置物》は、威厳と戯れ、守護と逸脱、伝統と近代という、相反する要素を一体化した作品である。その中に封じ込められた「狂気」は、破壊的なものではなく、むしろ生命力の噴出としての狂であり、停滞を拒むエネルギーの表象である。金属という本来は冷たく不動の素材に、これほどまでの熱量と運動感覚を宿らせた点に、明治金工の到達点を見ることができる。

 この置物を前にするとき、私たちは単なる獅子像を見ているのではない。そこに刻まれているのは、近代へと踏み出した日本社会の昂揚と不安、その両義性を引き受けながらなお前進しようとする意志である。狂える獅子は、百獣の王であると同時に、時代そのものの寓意として、今なお静かに、しかし確かな存在感をもって私たちに語りかけている。

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