【七宝鳳凰図暖炉前衝立】名古屋市より献上-皇居三の丸尚蔵館収蔵

七宝鳳凰図暖炉前衝立
尾張七宝が結晶した祝祭と象徴のかたち

大正十四年、近代日本が伝統と革新のあわいに揺れていた時代、一点の衝立が名古屋の地から皇室へと献上された。「七宝鳳凰図暖炉前衝立」。その名が示すとおり、本作は七宝という高度な工芸技法を用い、瑞鳥・鳳凰を主題として制作された、壮麗かつ象徴性に満ちた作品である。現在は皇居三の丸尚蔵館に収蔵され、日本近代工芸史における重要作のひとつとして位置づけられている。

この衝立は、暖炉前に据えられることを前提として設計された特殊な家具である点に、まず注目したい。暖炉という西洋由来の生活空間に、日本固有の工芸美を融和させる試みは、大正期特有の文化的感性を端的に物語っている。西洋建築の内部に置かれながらも、その存在は決して周縁的ではなく、むしろ空間の精神的中心として機能するよう、意図的に構想されている。

衝立は両面仕様であり、片面には岩に留まる二羽の鳳凰が、もう一方には深紅を基調とした一羽の鳳凰が描かれている。いずれの面においても、主役である鳳凰は単なる装飾的存在ではなく、場の空気を統べる象徴として、静かな威厳を湛えている。とりわけ深紅の鳳凰は、暖炉の火と呼応するかのような色調を帯び、視覚的な温度と精神的な昂揚を同時にもたらす。

技法の核心をなすのは、尾張七宝の精髄ともいえる無線七宝である。金属胎に施された釉薬は、輪郭線に頼ることなく、色そのものの重なりと滲みによって形象を浮かび上がらせる。鳳凰の羽根は、一本一本が丹念に描き分けられ、光を受ける角度によって表情を変える。その質感は、絵画的でありながら彫塑的でもあり、平面と立体の境界を静かに攪乱する。

背景に配された岩や霞の描写もまた、本作の完成度を高める重要な要素である。岩肌には微細な色階調が施され、重量感と奥行きを同時に表現している。一方、霞は実体を持たない存在として、釉薬の透明性と重層性によって表され、空間全体に呼吸するようなリズムを与えている。これらの背景表現は、鳳凰の神聖性を強調する舞台装置として、きわめて計算された配置を見せる。

本作が制作された背景には、大正天皇即位二十五周年という国家的祝祭がある。献上元である名古屋市は、近代日本における工業・工芸の一大拠点であり、とりわけ七宝焼の分野では世界的評価を獲得していた。尾張七宝は、明治以降、輸出工芸としても発展を遂げ、西洋的審美眼に耐えうる完成度を培ってきた。その集大成とも言うべき作品が、皇室への献上品として選ばれたことは、きわめて象徴的である。

鳳凰という主題の選択にも、明確な意図が読み取れる。鳳凰は、東アジア世界において太平の世にのみ現れる瑞鳥とされ、徳のある君主の出現を告げる存在である。日本においては、皇室と深く結びついた象徴として、建築装飾や調度品に繰り返し用いられてきた。本作における鳳凰もまた、単なる吉祥文様ではなく、国家の安寧と皇室の永続を祈念する視覚言語として機能している。

二羽の鳳凰が岩に留まる姿は、静と動、陰と陽、対をなす秩序を想起させる。一方、深紅の鳳凰は、再生と生命力の象徴として、ひときわ強い存在感を放つ。両面構成によって提示されるこれらのイメージは、時間の循環や世界の調和といった、より普遍的な理念へと鑑賞者の思考を導いていく。

七宝という技法は、本質的に「火」と不可分である。高温の焼成を経て初めて定着する色彩は、偶然性と制御の狭間で生まれる。その不確かさを乗り越え、ここまで緻密で安定した表現を実現している点に、本作の技術的水準の高さがある。職人たちの経験と感覚、そして都市としての名古屋が蓄積してきた工芸文化の厚みが、この一作に凝縮されている。

「七宝鳳凰図暖炉前衝立」は、近代日本が到達した工芸芸術のひとつの頂点である。それは過去の伝統を忠実に継承するだけでなく、新しい生活様式や空間意識を取り込みながら、象徴の力を失わなかった稀有な例と言えるだろう。静かに、しかし確固として立ち続けるこの衝立は、時代を超えて、私たちに美と意味の在り処を問いかけている。

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