【静物】清水良雄-皇居三の丸尚蔵館所蔵

静物
― 清水良雄、沈黙の写実 ―
大正という時代は、日本美術にとって外来の価値と内在する感性がせめぎ合った、緊張と期待に満ちた季節であった。その只中にあって、清水良雄(一八八九―一九七一)は、声高な主張や急進的な様式から距離を取り、あくまで誠実に、静かに「描くこと」そのものと向き合った画家である。彼の《静物》(一九一二年制作)は、その姿勢を最も端的に示す作品であり、日本近代洋画史の中で控えめながらも確かな位置を占めている。
この作品は、後年、一九二二年の帝国美術院第六回美術展覧会に出品され、当時の官展において高い評価を受けた。現在は皇居三の丸尚蔵館に所蔵され、清水良雄の代表作として知られているが、その価値は単なる技術的完成度にとどまらない。むしろ本作は、大正期洋画が抱えた精神的課題――西洋写実の導入と日本的感性の調和――に対する、一つの静かな回答として読むことができる。
画面の中心に据えられているのは、花瓶に活けられた洋菊である。花弁は一枚一枚が丁寧に描き分けられ、柔らかな曲線とわずかな色調の差異によって、生命の律動が抑制されたかたちで表現されている。ここには、写実という言葉がしばしば想起させる冷徹さや機械的再現性はない。清水の写実は、対象を制圧するための視線ではなく、対象に寄り添い、理解しようとする視線によって成り立っている。
花瓶の周囲には、アンティークの時計、陶磁器、卓布といった品々が配されている。これらは単なる装飾的要素ではなく、画面に時間性と文化的奥行きをもたらす重要なモチーフである。時計は沈黙した時間の象徴として、洋菊の儚い生命と対照をなす。一方、陶磁器の艶やかな表面や卓布の繊維の表現は、異国的な生活文化への憧憬を静かに物語っている。
構図に目を向けると、清水の慎重さと計算された秩序感覚が明確に現れている。物体同士は決して競合せず、互いの存在を引き立て合う距離を保って配置されている。観る者の視線は、洋菊から花瓶へ、さらに時計や卓布へと自然に導かれ、画面内で迷うことがない。この安定した構成は、画家自身の人格――実直で、無駄を嫌い、誠実であろうとする態度――と深く結びついている。
清水良雄は東京に生まれ、東京美術学校において黒田清輝に学んだ。黒田がもたらした外光表現や写実主義は、日本洋画の基盤を築いたが、清水はそれを単なる模倣に終わらせることなく、自身の内面に引き寄せた。彼の作品には、師の影響を感じさせつつも、より抑制された色彩と、沈思的な空気が漂っている。それは、時代の前面に立つことよりも、絵画の本質に忠実であろうとした画家の選択の結果であろう。
清水は官展において一定の評価を得ながらも、戦後の美術史叙述の中では次第に語られる機会を失っていった。しかし、その生涯は決して閉じたものではない。第二次世界大戦中、彼は広島に疎開し、戦後も同地に留まった。原爆によって壊滅的な被害を受けた広島において、芸術は単なる表現行為ではなく、精神的再建のための営みであった。清水は地域に根差し、教育や制作を通じて文化の再生に寄与した。
その経験は、《静物》のような初期作品を振り返る際にも、新たな意味を与える。画面に満ちる静けさ、過剰な感情を排した均衡、物に託された時間へのまなざし――それらは、後年の清水が戦後社会において求めた「安定」や「平穏」と、どこかで呼応しているようにも思われる。静物画という形式は、彼にとって世界を理解し、受け止めるための最も誠実な手段であったのだろう。
技法の面でも、本作は極めて完成度が高い。光と影は誇張されることなく、しかし確実に物体の質量と存在感を際立たせている。陶磁器に映る柔らかな反射、花弁のわずかな陰影、卓布の起伏に沿って落ちる光――それらはすべて、観る者に「そこに在る」という確信を与える。清水は光を装飾としてではなく、存在を支える構造として扱っている。
《静物》が今日なお評価される理由は、その静かな力にある。そこには時代を代表する革新性も、強烈な個性の誇示もない。しかし、だからこそ本作は、観る者の感情や思考を穏やかに受け止め、長い時間をかけて語りかけてくる。物を描くことを通じて、世界と誠実に向き合おうとした一人の画家の姿勢が、画面の隅々にまで浸透しているのである。
清水良雄の《静物》は、日本近代洋画における「静謐」という価値を体現した作品である。それは声高に主張することなく、しかし確かな重みをもって、今もなお私たちの前に在り続けている。
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