
『凧揚』は、牧野虎雄(まきの とらお)による1924年の作品で、東京国立近代美術館に所蔵されています。この絵画は、緑が生い茂る空き地で子供たちが凧揚げを楽しんでいる情景を描いています。牧野虎雄が3歳のときに凧揚げを覚え、その後も生涯にわたって親しみ続けたことが、この作品に色濃く反映されています。彼の祖父が凧作りの名人であった影響を受けた牧野は、凧揚げが持つ遊びとしての魅力や人々を惹きつける力を強く感じていたのでしょう。この作品はそのような彼の思いが込められたものといえます。
牧野虎雄(1889年-1982年)は、明治から昭和にかけて活躍した日本の画家で、特に風景画や人物画を得意とし、色彩や筆使いにおいて独自のスタイルを確立しました。彼はまた、さまざまな文化や自然の美に強く魅了され、その感受性を作品に反映させました。「凧揚」はその代表的な作品の一つであり、彼の画風とテーマの特徴がよく表れています。
牧野が凧揚げに特別な愛情を抱いていたことは、彼の言葉にも表れています。彼は「凧を上げてゐると子供が多勢集つて来て、一緒に遊べるのも素晴らしいことだ。」と述べており、凧揚げが単なる遊びにとどまらず、社会的な交流を生む手段であることを強調しています。この言葉には、遊びを通じた人々の結びつきや、日常的な喜びを感じさせる感覚が込められています。牧野自身も、凧揚げを通じてそのような交流の喜びを体験し、作品に反映させたのでしょう。
『凧揚』は、緑豊かな風景の中で凧揚げを楽しむ子供たちを描いた作品です。絵の構図には、牧野の風景画としての特徴が色濃く現れています。画面には、広大な空き地とその上空に広がる空が描かれ、そこに凧が高く舞い上がる様子が捉えられています。この作品の中で、風景と人物は一体となり、動きのあるシーンとして描かれています。
特に注目すべきは、子供たちの手の動きと視線、そしてそれらが画面に与える効果です。子供の手の動きが描かれることで、画面に生き生きとした動きが生まれています。子供たちが凧を揚げる際に見せる動きが、観る者に臨場感を与え、まるでその場にいるかのような感覚を呼び起こします。また、視線の描写も重要な要素です。子供たちが凧を見上げる様子や、彼らが目で追う先にある凧が描かれており、視線が画面を貫通し、空間の奥行きが感じられます。この視線の動きが、観る者を画面に引き込む重要な役割を果たしています。
さらに、少し右側に傾いた傘が遠景に小さな凧へと続く対角線を形成しており、この構図が画面に広がりを与えています。この対角線は、視覚的に画面に奥行きを与えるだけでなく、絵の中で起こっている動きと風景のバランスを取る役割も果たしています。遠近法と空間の使い方が巧妙に組み合わされることで、絵画は単なる静止したイメージではなく、動的なシーンとして生き生きとした表現を持っています。
『凧揚』における色彩の使い方は、作品の雰囲気や自然の風景を感じさせる重要な要素です。空は流れるような筆致で描かれ、青空に浮かぶ白い雲が風の動きを感じさせます。この筆致によって、まるで風がそのまま画面から吹き抜けていくような印象を与え、凧が空高く舞い上がる様子が生き生きと伝わってきます。風の存在を感じさせるこの描写は、凧揚げというテーマにぴったりの表現であり、牧野の卓越した技法が光る部分です。
また、空き地に広がる緑の草木も、色彩豊かに描かれており、自然の息吹を感じさせます。草木の緑色は、自然の生命力や清新さを象徴しており、凧揚げという遊びが行われる場所としての空間を際立たせています。このように、色彩の使い方が風景に動きや命を与え、作品に深みを加えています。
「凧揚げ」というテーマには、日本の伝統的な遊びとしての側面と、牧野の個人的な思い入れが重なっています。凧は、日本の文化においても重要な役割を果たしており、年中行事や祝祭の一環としても登場します。特に、凧揚げは春の風物詩として親しまれ、家族や地域の交流の場としても重要な意味を持っています。
牧野が描いた「凧揚」のシーンも、このような文化的背景を反映しており、凧揚げを通じて人々が繋がる瞬間を描いています。彼の言葉にあるように、凧を揚げることで子供たちが集まり、遊びを通じて心が通い合うという感覚は、この絵に込められた象徴的な意味を深めています。さらに、凧揚げをする子供たちの姿には、無邪気で自由な精神が表れており、牧野自身の「遊び心」や「自然との調和」を象徴するものでもあります。
『凧揚』は、牧野虎雄の感受性豊かな画風と、彼が愛したテーマである「遊び」「自然」「交流」を巧みに表現した作品です。色彩や構図、動きの表現が一体となって、観る者に自然の中で遊ぶ楽しさや風の感覚を伝えています。また、牧野自身が感じていた凧揚げの魅力や、子供たちの遊びがもたらす交流の喜びが、この絵画を通じて強く伝わってきます。彼の筆致の中に込められた風の動きや、画面に広がる空間の奥行きは、作品に生命力を与え、観る者をその瞬間に引き込む力を持っています。『凧揚』は、単なる風景画にとどまらず、日常の中での美しさや喜びを再認識させてくれる作品です。
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