【カトゥール・メンデスの娘たち】ルノワール‐メトロポリタン美術館所蔵

【カトゥール・メンデスの娘たち】ルノワール‐メトロポリタン美術館所蔵

《カチュール・マンデスの娘たち:ユゲット、クロディーヌ、エリオンヌ》(1888年制作):ルノワール晩期の転換点としての肖像画
19世紀末のフランス絵画界において、ピエール=オーギュスト・ルノワールは印象派の中心的存在として知られるが、彼の作品には時代ごとに顕著な変化が見られる。《カチュール・マンデスの娘たち、ユゲット、クロディーヌ、エリオンヌ》(以下《マンデスの娘たち》)は、ルノワールの画風が変化を遂げた重要な転換点の一例として、美術史上でも注目される作品である。

この作品のモデルとなった3人の少女は、詩人で出版者でもあったカチュール・マンデスと、そのパートナーであり著名な作曲家・ピアニストであったオーギュスタ・オルメスの娘たちである。長女ユゲット、次女クロディーヌ、三女エリオンヌの3姉妹は、当時パリの社交界でも名の知られた家庭に育ち、芸術的な素養に恵まれた子どもたちであった。

カチュール・マンデスは象徴主義の詩人として知られ、象徴主義文学運動の初期に貢献した人物である。彼の家庭は芸術家たちの交流の場となっており、詩人や画家、作曲家たちが集う知的なサロンとして機能していた。ルノワールもこの交友関係の中でマンデスと親しくなり、彼の家族を描く機会を得たのである。

ルノワールがこの肖像画を制作した1888年当時、彼はある種の芸術的挑戦に直面していた。1879年のサロンに出品された《シャルパンティエ夫人とその子どもたち》(《Madame Georges Charpentier and Her Children》)が大きな成功を収めたことから、彼は再び同様の形式による家族肖像で評価を得ようと考えていた。そこで選ばれたのが、芸術的かつ世間の注目を集めやすいマンデス家の娘たちだったのである。

当時のルノワールは、印象派から脱却しようとする過程にあった。彼は「イングレス風の時代(période ingresque)」と呼ばれる時期に入り、線や形の明確化、構成の整合性を重視するようになる。この作品にもその傾向が見られ、ルノワールが新たなスタイルを模索する中で生まれたものであると言える。

《マンデスの娘たち》は、横長の大画面に3人の姉妹をそれぞれ異なるポーズで配置している。中央には最年長のユゲットが端正な姿勢で座っており、左右にクロディーヌとエリオンヌが配されている。3人の間に見られる視線の交錯や姿勢の変化は、単なる肖像にとどまらず、彼女たちの性格や姉妹間の関係性をも暗示する構成となっている。

背景には特定の風景は描かれず、室内の暗い壁面と床によって抽象的な空間が作られている。このように簡素な背景にすることで、観者の注意は3人の少女たちの表情や衣装、しぐさに集中するよう導かれている。また、衣装の華やかさやリボン、レースの質感などにはルノワール特有の柔らかな筆致が残っており、新しいスタイルへの移行期らしい混在した画風が認められる。

この作品における最大の特徴のひとつが、色彩の使い方と筆致の変化である。印象派の時期に見られた軽やかで分割的な筆触(タッシュ)は後退し、よりしっかりとした輪郭線や構造的な描写が試みられている。肌のトーンには依然として温かみが残るものの、顔の描写には平面的で硬質な処理が見られ、観客にはある種の不自然さを与える可能性がある。

とりわけ顔の描写においては、「形式化された顔(schematized faces)」と美術館の解説でも指摘されているように、リアルな個性の表出よりも構成的な統一感が優先されている。ルノワールはこの作品において、色彩の鮮やかさと造形の明確さの両立を試みたが、結果として観衆には「ぎこちない」と感じられる要素が残った。

完成後、ルノワールはこの作品を1888年5月にパリで開催された展覧会に出品した。彼はかつての《シャルパンティエ夫人》と同様の注目を集めることを期待していたが、実際の反応は芳しいものではなかった。批評家たちは新しい画風に戸惑いを見せ、特に顔の描写に対しては「表情が乏しく、魅力に欠ける」とする声が目立った。

このような評価は、ルノワールにとってある種の挫折であったとも言える。しかし一方で、本作は彼の画業における過渡期を示す貴重な記録であり、次第に確立されていく新古典主義的傾向への移行を証明するものであった。

本作が美術史的に重要であるのは、それがルノワールのスタイル変化を可視化した希少な例であるからにほかならない。印象派の軽やかで自由な表現から一転して、より構築的でクラシカルな表現へと向かう過程において、《マンデスの娘たち》は中間地点として機能している。

この後、ルノワールはさらなる技術的探求を進め、《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》や《浴女たち》に見られるような肉体表現と色彩の融合を深めていく。本作で見られる顔の単純化や身体の構成的処理は、そうした後年の作品群の先駆けとも解釈できる。

《カチュール・マンデスの娘たち》は、表面的には上品で穏やかな家庭の肖像画に見えるが、実際にはルノワールの芸術的な野心と実験精神が強く反映された作品である。世間的評価こそ限定的であったが、彼の創作における重要な転機を示すものであり、印象派という枠組みを越えてルノワールの芸術を理解する鍵となる一作である。

現在、本作はニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されており、彼の他の作品とともに時代ごとの変遷を比較できる貴重な資料として多くの観客に公開されている。ルノワールの多面的な芸術性を知るためにも、本作品にじっくりと向き合う価値は大いにある。

画像出所:メトロポリタン美術館

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