【画苑 The Garden of Painting】日本‐江戸時代‐狩野探幽
「画苑」は、日本の江戸時代(1615年から1868年)に活躍した狩野探幽(Kano Tan’yū)による作品です。この手巻は1670年に制作されました。狩野探幽は、狩野派の絵師として知られ、江戸時代初期においてその名声を確立しました。
作品は手巻きの形式で制作され、紙に墨を使用しています。寸法は縦27.6センチメートル × 横354.2センチメートルで、画苑の中で広がる風景や絵画が手巻きの形式で展開されています。手巻の形式は、鑑賞者が少しずつ絵画を見ながら物語性を楽しむことができるように工夫されています。
「画苑」は、狩野探幽の描く風景や構図、絵画の技法が結実した作品の一つとされています。江戸時代の日本では、風景画や自然の美を愛でる趣味が栄え、それが絵画表現にも反映されました。狩野探幽は、狩野派の伝統を受け継ぎつつも、新しい視点や技法を取り入れ、独自の芸術的なスタイルを築き上げました。
「画苑」は、日本の美術史において探幽の代表作とされ、彼の画風や時代背景を知る上で貴重な作品となっています。
狩野探幽は、中国と日本の絵画史から多数の作品を研究しました。その研究の成果として、彼は模本や美術作品のスケッチで満ちた広範な作品集を生み出しました。この2巻のセットは、模写、研究、スケッチが詰まったものとなっています。
最初の巻は、南宋時代の中国の禅宗仏僧で画家である牧谿(Mu Qi)の絵画の研究を示す部分で広げられています。禅僧でありながら画家としても知られる牧谿の作品は、狩野探幽によって模写や研究が行われ、その成果がこの手巻に反映されています。
二巻目は、狩野元信(Kano Motonobu)による仏教の姿である布袋尊(Hotei)のスケッチを示しています。狩野元信は室町時代から戦国時代の狩野派の重要な画家であり、彼の作品もまた狩野探幽によって研究され、スケッチされたことが伺えます。
これらの手巻は、探幽が中国と日本の絵画伝統に深い洞察を持ち、その知識を継承し、発展させていったことを示しています。模写や研究は、芸術家が他の巨匠の作品から学ぶ手段として一般的であり、これによって新たな表現や技法の創造が可能となりました。
画像出所:メトロポリタン美術館
画像出所:メトロポリタン美術館
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