【ズアーヴ兵(Zouave)】フィンセント・ファン・ゴッホーメトロポリタン美術館所蔵

【ズアーヴ兵(Zouave)】フィンセント・ファン・ゴッホーメトロポリタン美術館所蔵

《ズアーヴ兵》──ファン・ゴッホが描いた「虎の目」を持つ若者
1888年6月、フィンセント・ファン・ゴッホは南フランスのアルルで《ズアーヴ兵》と題された作品を描きました。この水彩画は、彼が初めて本格的にアルルで人物肖像に取り組んだ際の重要な作品であり、その直後に油彩による本格的な肖像画へと発展していきます。現在この水彩画は、ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されています。

本稿では、この作品の背景、モチーフであるズアーヴ兵の歴史、ゴッホの肖像画への取り組み、さらにはこの作品が表すゴッホの芸術的挑戦について、一般の方にもわかりやすく紹介していきます。

1888年2月、ゴッホはフランスのパリを離れ、より穏やかな気候と明るい光を求めてアルルへ移住しました。アルルの風景、日差し、農民たちの素朴な暮らし、そして田園での労働などは、彼の創作意欲を刺激し、多くの風景画や農作業の場面が生まれました。

しかし、そんななかで彼が特に強い関心を示していたのが人物画でした。彼は弟テオへの手紙で、かねてから「人物画こそが芸術の頂点である」と語っています。アルルでの生活が始まってしばらくは、人物モデルを見つけるのに苦労していましたが、6月下旬、ついに彼は一人のモデルを得ることになります。それがズアーヴ兵の青年でした。

ゴッホは6月22日付の手紙で、次のように報告しています。

「やっとモデルを手に入れた。ズアーヴ兵だ。小さな顔に、牛のように太い首、虎のような目をしている。」

この言葉には、モデルへの驚きと芸術的興奮がにじみ出ています。単なる軍人ではなく、野性的な個性と存在感を放つ人物だったのでしょう。

「ズアーヴ」という言葉は、日本ではあまりなじみがないかもしれません。ズアーヴ兵は、19世紀から20世紀初頭にかけて、フランス軍に存在した歩兵部隊の一つで、元々はアルジェリアの先住民を起源としています。彼らは特徴的な衣装をまとっており、赤いフェズ帽や短いジャケット、バルーン状のズボンといった東洋風の軍服がトレードマークでした。

このような異国的な装いは、西洋の画家たちにとって魅力的なモチーフとなりました。エドガー・ドガ、ジャン=レオン・ジェロームといった画家たちも、ズアーヴ兵を描いています。ゴッホもまた、こうした視覚的に強いインパクトを持つ被写体に惹かれたと考えられます。

メトロポリタン美術館に所蔵されている《ズアーヴ兵》は、水彩とクレヨンで描かれた作品であり、油彩による本番の肖像画のための「色彩の習作」とされています。つまり、構図や表情を確定する前に、色彩の組み合わせや衣装のトーンを試すための準備画と見ることができます。

この作品における色使いは、ゴッホらしく大胆です。ズアーヴ兵の制服の赤、背景の黄土色、顔や手に施された独特な肌の色合いなど、自然な調和よりも対比と緊張感を重視した構成になっています。彼自身が「野蛮なまでに不調和な色の組み合わせ」と語ったように、色のぶつかり合いが強烈な印象を生んでいます。

このような色彩への探求は、印象派からポスト印象派へと向かうゴッホの姿勢を如実に示しています。光と空気の描写に重きを置く印象派とは一線を画し、彼は感情や心理、主観的なヴィジョンをキャンバスに刻もうとしていたのです。

ズアーヴ兵の最も印象的な特徴の一つが、彼の眼差しです。小さな顔の中に鋭く光る目――ゴッホはそれを「虎の目」と形容しました。確かに、水彩画の中でもその目は、ほかの要素とは異なる集中を持って描かれており、見る者の視線を惹きつけます。

肖像画において「目」は、その人物の内面を語る最も重要な要素の一つです。ゴッホはここで、モデルの外見だけでなく、その性格や気迫、そしてある種の謎めいた力をとらえようとしています。これは、彼が模索していた「精神的肖像画」への第一歩とも言えるでしょう。

この水彩画は完成後、ゴッホの芸術仲間であった画家エミール・ベルナールに送られました。そこには「同志ベルナールへ」といった献辞が添えられていたことが記録されています。ベルナールは、当時若手の画家として台頭しつつあり、ゴーギャンやセリュジエとともに「総合主義」や「クロワゾニスム」などの新しいスタイルを追求していました。

ゴッホは彼らとの文通や作品交換を通じて、自身の芸術を磨き、新しい刺激を得ようとしていました。ズアーヴ兵の水彩画がベルナールに贈られたのは、単なる友情の証だけでなく、自分の試みや成果を評価してほしいという願いもあったと考えられます。

この水彩画の後、ゴッホは同じズアーヴ兵をモデルに、油彩でバストショット(胸から上)の肖像画を完成させました。この作品では、水彩に比べてより力強く、より明確な構図となっており、背景にも配慮された室内の設定が加えられています。

しかし、興味深いのは、油彩画においても、ゴッホはあえて正確な写実にはこだわっていない点です。彼の描くズアーヴ兵は、現実の軍人というよりも、ある種の象徴的存在──野生的で自由で、自信に満ちた若者のイメージとして立ち現れているのです。

この作品が描かれた1888年6月20日から24日までは、アルルに大雨が降り注ぎ、野外での収穫風景の制作が中断されていた時期でした。自然の妨げがあったからこそ、ゴッホは屋内での人物肖像に本格的に取り組む機会を得たとも言えます。

その後、彼はアルルでさらに何人かの人物をモデルに描きました。郵便配達人ジョゼフ・ルーランや、ルーラン夫人とその子供たち、さらには農婦たちなど、アルルの人々を通して彼は人物画の探求を深めていきます。

ズアーヴ兵の肖像画は、そうした一連の作品群の先駆けであり、彼の肖像画史の重要な出発点となったのです。

今日、この《ズアーヴ兵》は、ゴッホの作品群の中ではやや知られざる存在かもしれません。しかしこの水彩画には、彼の人物画にかける情熱、色彩に対する挑戦、そして見る者の心に直接届くような眼差しへのこだわりが凝縮されています。

単なる軍人のスケッチではなく、一人の若者のエネルギーと存在感を捉えようとしたゴッホの姿勢は、21世紀の私たちにも訴えかける力を持っています。芸術が人間の本質を描く営みであるならば、この《ズアーヴ兵》もまた、その本質を追い求めた真摯な軌跡の一つにほかなりません。

画像出所:メトロポリタン美術館

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