【萌え出づる森】高島野十郎ー個人蔵

萌え出づる森
生命の生成を見つめる晩年のまなざし
高島野十郎の画業を振り返るとき、しばしば語られるのは「光」の探究である。闇に揺らぐ蝋燭の炎、静寂の夜に浮かぶ月、雪や水面に反射する微かな輝き――彼の作品において光は単なる視覚的現象ではなく、存在そのものを顕在化させる契機であった。しかしその一方で、彼の芸術のもう一つの核心は、自然の中に潜む生成と循環の力を凝視する姿勢にあった。《萌え出づる森》は、その二つの主題が静かに結晶した晩年の到達点といえる。
本作は昭和四十年前後、すなわち画家が七十歳を超えた頃に制作されたと考えられている。一般にこの時期は、肉体の衰えとともに表現が簡素化し、内面的な沈潜が深まる時期とされる。しかし野十郎においては、その「晩年性」は単なる衰微ではなく、むしろ対象の本質へと収斂する過程として現れている。ここで描かれるのは、芽吹きの季節における森の内部――無数の生命が一斉に動き出す、ほとんど原初的ともいえる瞬間である。
日本近代洋画において、森という主題は必ずしも主流ではなかった。開けた田園や海景に比べ、森は視界を遮り、構図を複雑にし、光の扱いを困難にする。だが野十郎は、この困難さゆえにこそ森に向かったのではないか。彼の関心は、風景の外観的な美しさではなく、自然の内部に脈打つ生命の律動にあった。森はその最も密度の高い場所であり、生命の生成が可視化される場である。
画面に目を凝らすと、まず縦方向に反復される樹木の幹が視覚の骨格を成していることに気づく。細く伸びる幹は規則的でありながら微妙に揺らぎ、その反復が画面全体に静かなリズムを与えている。そこに絡みつくように枝葉が広がり、緑の粒子が無数に散在する。個々の葉は決して細密に描き込まれているわけではないが、その集合によって、森の密度と呼吸が感じられる。
色彩は一見して単調な緑の世界に見えるが、実際にはきわめて豊かな階調が潜んでいる。萌え出たばかりの若葉の黄緑、やや成熟した葉の深緑、影に沈む暗緑、さらには幹の褐色や土の気配が微妙に交錯し、画面に奥行きを与えている。これらは印象派的な色彩分割とは異なり、対象そのものの内側から滲み出るように配置されている。つまり光は外部から当たるのではなく、森そのものが内側から発光しているかのように感じられるのである。
この「内発する光」の感覚は、野十郎の蝋燭画と深く通じている。蝋燭の炎が闇の中で自己の存在を証明するように、《萌え出づる森》の若葉もまた、自らの生命によって光を帯びている。だがここで重要なのは、光が単一の源から放射されるのではなく、無数の生命の集積として現れている点である。個々の葉が微細な光を宿し、それらが重なり合うことで、森全体が静かに輝いている。
構図上の特徴として注目されるのは、視点の近接性である。多くの風景画が遠景を含む広がりを重視するのに対し、本作では視線が森の内部に深く入り込み、外界との境界がほとんど失われている。そのため、鑑賞者は風景を「眺める」のではなく、むしろその中に「没入する」感覚を得る。視界を覆う緑の密度は、外部の時間を遮断し、別種の時間感覚――ゆっくりと、しかし確実に進行する生成の時間――へと導く。
ここで描かれているのは、単なる春の情景ではない。萌芽とは、枯死の後に訪れる再生の徴であり、時間の循環の一断面である。野十郎は、個々の生命の儚さを知りつつ、その背後にある反復的な生成の力を見つめていた。七十歳を超えた彼にとって、芽吹く森は自己の老いと対照を成す存在であったに違いない。しかしその対照は悲観へと傾くのではなく、むしろ大きな安らぎへと転じている。個の生命は消えゆくが、自然は絶えず新たに生まれ続ける。その事実を受け入れる静かな肯定が、この画面には満ちている。
野十郎の自然観は、単なる観察にとどまらない。そこには一種の宗教的感覚が潜んでいる。彼は特定の教義に依拠することなく、自然そのものを超越的なものの現れとして捉えた。《萌え出づる森》における芽吹きは、創造の瞬間であり、無から有が立ち上がる神秘の顕現である。画家はそれを誇張することなく、しかし一切の逸脱も許さず、厳格な視線で画面に定着させている。
また、本作は西洋近代絵画との微妙な関係性も示している。樹木の反復や色面の重なりは、構造的把握を重視した画家たちの試みを想起させる。しかし野十郎においては、それが理論的分析としてではなく、あくまで体験的直観として現れている。彼は自然を分解するのではなく、その中に身を置き、そこから立ち上がる秩序を感じ取ったのである。
鑑賞者がこの作品の前に立つとき、まず感じるのは圧倒的な静けさである。だがその静けさは無音ではない。むしろ、無数の葉が芽吹くかすかなざわめき、見えない水分が循環する気配、光が緑に吸収される微細な振動が、沈黙の奥に満ちている。その気配に耳を澄ますとき、私たちは日常の時間から離れ、より根源的な生命のリズムに触れることになる。
《萌え出づる森》は、野十郎の晩年における一つの到達点であると同時に、彼の画業全体を貫く思想を端的に示している。すなわち、自然の中に宿る光と生命を、誠実に、過不足なく見つめるという態度である。そこには技巧の誇示も、感情の過剰もない。ただ、存在するものを存在するままに受け止め、その内奥に潜む生成の力を画面に定着させる――その静かな営為が、この作品を特別なものにしている。
現代に生きる私たちは、しばしば自然から切り離された時間の中にいる。しかしこの絵の前に立つとき、私たちはふと立ち止まり、生命が芽吹くという根源的な出来事に思いを致す。森は語らず、ただそこに在る。しかしその沈黙の中にこそ、最も確かな「生」の証が響いているのである。
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