【闔家全慶】滝和亭‐東京国立近代美術館所蔵

闔家全慶
――明治南画における祝祭性と伝統の持続――
滝和亭が明治三十一年(一八九八)に制作した《闔家全慶》は、近代日本絵画が急速な変貌を遂げつつあった時代において、きわめて穏やかな重心を保ち続ける作品である。そこに描かれているのは、雌雄のニワトリとその雛という、江戸時代以来親しまれてきた祝意に満ちた画題であり、題名が示すとおり「一家すべてに喜びが満ちる」状態を象徴する視覚的寓意である。本作は、革新と断絶が声高に語られがちな明治期日本画史のなかで、連続性と持続という別の時間感覚を静かに提示している。
「闔家全慶」という四字熟語は、中国古典に由来する吉祥語であり、日本においても新年祝賀や家内安全を願う文脈で広く用いられてきた。絵画化に際しては、家族的結束や生命の循環を象徴する動物表現が選ばれることが多く、とりわけニワトリは、早朝に時を告げる存在として勤勉さや秩序を、また多産性によって繁栄を象徴する存在として尊ばれてきた。雌雄と雛が同一画面に収められる構図は、単なる自然描写を超え、理想化された家族像の視覚的定型として機能している。
滝和亭は、明治期を代表する南画家として知られるが、その画業は単なる文人画の継承にとどまらない。南画が本来備えていた知的洗練や余白の美を基盤としつつ、彼は装飾性と物語性を巧みに調停した。とりわけ《闔家全慶》においては、祝意を帯びた主題にふさわしく、画面全体が穏やかな充足感に包まれている。そこには、観る者の生活空間に寄り添う絵画としての性格が明確に意識されている。
本作におけるニワトリの描写は、写実性と象徴性の均衡点に位置している。羽毛は一本一本が丹念に描き分けられ、量感と質感を伴って画面に立ち現れるが、過度な生物学的正確さに傾くことはない。むしろ、姿態や配置には意図的な整えが施され、家族的調和を視覚的に強調する構成となっている。雌雄の視線や雛の位置関係は、静かなリズムを生み、画面に内的な秩序を与えている。
背景に配された草花や景物もまた、単なる添景ではない。季節感を示唆しつつ、生命の循環と自然の恵みを象徴する要素として、主題と呼応している。南画的な筆致を基調としながらも、輪郭や彩色には明治期特有の洗練が見られ、画面全体は軽やかな緊張感を保っている。ここには、伝統的技法を単に保存するのではなく、時代に適応させようとする和亭の姿勢が如実に表れている。
色彩設計もまた、本作の祝祭性を支える重要な要素である。ニワトリの冠や羽に施された赤や金の色調は、過度に華美になることなく、画面に温度と明るさをもたらしている。一方、背景は抑制された色域でまとめられ、主題の存在感を際立たせている。この対比は、家庭内の安定と外界の静けさを象徴するかのようであり、鑑賞者に心理的な安らぎを与える。
明治時代後期、日本社会は急速な西洋化と制度改革のただ中にあった。絵画の領域においても、西洋画法の導入や新しい主題の模索が進められ、日本画はしばしば「旧弊」として批判の対象となった。しかし同時に、生活文化のレベルでは、伝統的価値観や吉祥的世界観が依然として強く支持されていた。《闔家全慶》は、まさにそのような需要と精神性に応答した作品である。
床の間を飾るための絵画として、本作は高度に完成された機能性を備えている。祝意を視覚化し、家族の繁栄を祈る象徴として、日常生活の中で繰り返し鑑賞されることを前提としている点に、その意義がある。滝和亭は、芸術的自律性と社会的要請との間に緊張を生じさせることなく、両者を自然に接続させた稀有な画家であったと言えるだろう。
《闔家全慶》は、革新の物語からこぼれ落ちがちな「変わらぬもの」の価値を、静かに、しかし確かな筆致で語りかけてくる作品である。それは、近代という時代が決して一方向的な断絶ではなく、複数の時間が併走していたことを示す視覚的証言でもある。滝和亭のこの一幅は、明治日本画が内包していた多層的な可能性を、今日に伝える重要な存在なのである。
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