【ウィーンパンの店】ジョゼフ・コーネル‐東京国立近代美術館所蔵

ウィーンパンの店
想像力の宿としてのジョゼフ・コーネル
ジョゼフ・コーネルは、20世紀アメリカ美術のなかでも、きわめて特異な静けさを湛えた作家である。巨大なキャンバスでも、雄弁なジェスチャーでもなく、彼が選んだのは掌に収まるほどの小箱という親密な形式だった。その内部に、時間、記憶、信仰、そして旅の夢を折り重ねることで、コーネルは独自の宇宙を築き上げた。「ウィーンパンの店」(1950年)は、その創作の成熟を示す代表的な一作であり、彼の思考と感性が最も凝縮された形で結晶している作品である。
この小箱は、一見すると建築的なファサードを思わせる。白い格子やアーチ状の木片は、窓や扉の構造を想起させ、外界と内界を隔てる境界として静かに立ち現れる。だが、その境界は決して閉ざされたものではない。むしろ、覗き込む者を内側へと誘うための前庭のように機能している。コーネルにとって箱とは、閉じられた容器ではなく、想像力が出入りするための通路であった。
箱の内部には、かつて実在したヨーロッパの風景が断片的に現れる。ライン川沿いのグランド・ホテル・ロイヤル、ブリュッセルのウィーンパン店「ブロッホ兄弟」。それらは広告や印刷物として再利用され、元の文脈を離れて新たな配置を与えられている。コーネルはこれらの素材を通して、実際に訪れることのなかった都市や建物を、自身の内面において再構築した。彼にとって旅とは移動ではなく、想像の作用そのものであった。
1950年前後に集中的に制作された「ホテル」シリーズは、こうした想像上の旅を象徴的に示す連作である。ホテルとは、本質的に仮の住まいであり、永住の場ではない。そこには到着と出発、滞在と通過という相反する状態が同時に存在する。コーネルが自らを「安楽椅子の旅行者」と呼んだことはよく知られているが、その言葉は彼の生き方だけでなく、作品の構造そのものをも言い表している。彼は動かずして、無数の場所と時間を往還したのである。
この「仮の宿」という概念は、コーネルの信仰とも深く結びついている。クリスチャン・サイエンスの思想において、現世は永遠の世界へ至る途上の一時的な滞在地とされる。「ウィーンパンの店」におけるホテルや商店のイメージは、単なる都市風景ではなく、現実と超越のあわいに置かれた象徴的空間として機能している。そこでは、日常的な広告が、霊的な寓意を帯びて静かに輝き始める。
コーネルのアッサンブラージュは、過剰な説明を拒む。彼の箱は雄弁に語るのではなく、沈黙のなかで関係性を編み上げる。過去と現在、現実と夢、個人的記憶と集団的イメージが、明確な序列を持たずに共存するその構造は、観る者の想像力を能動的に呼び覚ます。意味はあらかじめ固定されているのではなく、箱の前に立つ一人ひとりの内側で生成される。
また、この作品はコーネルの生活環境とも無縁ではない。ニューヨークからほとんど離れることのなかった彼にとって、書籍、雑誌、地図、広告は世界への窓であった。彼はそれらを蒐集し、分類し、時に長い時間をかけて眺め続けた。その蓄積が、箱という小さな舞台の上で再編成されるとき、現実の制約を超えた自由な時間と空間が立ち上がる。「ウィーンパンの店」は、そうした内的世界の可視化にほかならない。
この小箱の魅力は、緻密な構成や造形の美しさだけにあるのではない。むしろ、その奥に潜む、問いの気配にこそ本質がある。私たちはどこに滞在し、どこへ向かうのか。記憶はどのように場所と結びつくのか。想像力は、現実をどこまで超えることができるのか。コーネルは答えを示すことなく、静かに問いを差し出す。
「ウィーンパンの店」は、現代美術におけるアッサンブラージュの先駆的作品として位置づけられると同時に、極めて私的な精神の風景でもある。その私性は、逆説的に普遍性へと開かれている。小さな箱の中に広がる無限の旅路は、時代や文化を越えて、今なお観る者の想像力を刺激し続けている。コーネルの作品が放つ静かな光は、喧騒のなかで見失われがちな内的世界の豊かさを、そっと思い起こさせるのである。
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