【聾者の耳】イヴ・タンギー‐東京国立近代美術館所蔵

聾者の耳
無限の沈黙にひらかれるイヴ・タンギーの内的宇宙
イヴ・タンギーの絵画に向き合うとき、観る者はまず、言葉の届かない空間に立たされる。そこでは物体は名前を失い、風景は記憶と知覚のあわいに漂い、時間は直線的な流れを拒む。《聾者の耳》(1938年)は、こうしたタンギーの世界観が高度に結晶した作品であり、シュルレアリスムという運動の内部にありながら、きわめて孤独で個人的な思考の場を形成している。
タンギーはしばしば、理論よりも感覚に忠実な画家として語られる。詩や自動記述を重視したアンドレ・ブルトン的シュルレアリスムの中にあって、彼は無意識を言語化するよりも、視覚的に沈黙させることを選んだ画家であった。《聾者の耳》において顕著なのは、意味を伝達する回路そのものが遮断されているかのような感覚である。そこでは、象徴は暗示されるが解読されず、物語は始まる前に霧散する。
1938年という制作年は、ヨーロッパが戦争の影を色濃く帯び始めていた時代である。現実世界が不穏な緊張に包まれていく一方で、タンギーの絵画は、外部の歴史的現実をほとんど直接的には反映しない。しかしそれは、現実からの逃避ではない。むしろ彼は、世界が崩壊へと向かうときにこそ、感覚の根源にまで立ち返ろうとした。その結果生まれたのが、現実よりも現実的で、夢よりも醒めた奇妙な風景である。
《聾者の耳》の画面には、見慣れた物体は存在しない。そこに浮遊する形象は、鉱物のようでもあり、軟体動物の痕跡のようでもあり、あるいは人体の断片を思わせることもある。しかし、それらはいずれにも確定しない。タンギーの形象は、常に「なりかけ」の状態に留まっており、生命と無機物、内部と外部、主体と客体の境界を曖昧にする。観る者はそれらを「理解」することを断念し、ただ感覚として受け取るほかなくなる。
背景に広がるのは、無限とも思える空間である。地平線はかすかに示唆されるものの、空と大地の区別は溶解し、遠近法は意味を失っている。この空間は、夢の舞台というよりも、記憶が沈殿する心的領域に近い。そこでは時間は停止しているか、あるいは永遠に引き延ばされている。《聾者の耳》の静けさは、安らぎではなく、音が存在しないがゆえの張り詰めた沈黙である。
タンギーのこうした空間感覚は、彼の生い立ちと密接に結びついている。幼少期を過ごしたブルターニュ地方の荒涼とした海岸線、強風にさらされた大地、そして水平線だけが広がる光景は、彼の視覚的記憶の深層を形づくった。さらに、商船員として各地を巡り、南チュニジアの砂漠に身を置いた経験は、「遮るもののない空間」という感覚を彼の身体に刻み込んだ。砂漠の無音と無限性は、《聾者の耳》における空間の原型であるとも言える。
タンギーが画家を志す直接の契機となった、ジョルジョ・デ・キリコとの出会いも重要である。デ・キリコの形而上絵画が示したのは、日常的な空間が突如として異様な意味を帯びる瞬間であった。しかしタンギーは、その方法を踏襲するのではなく、さらに一歩進めて、意味そのものが生成される以前の段階へと踏み込んだ。彼の絵画では、象徴はもはや記号として機能せず、ただそこに「在る」ものとして沈黙している。
《聾者の耳》という題名は、その沈黙を鋭く指し示す。聴覚を失った存在は、外界からの呼びかけを受け取ることができない。しかし同時に、内側の感覚は過剰なまでに研ぎ澄まされる。耳が閉ざされることで、視覚は異様なほどの鋭敏さを獲得する。タンギーの絵画が示すのは、まさにそのような感覚の転位である。音のない世界において、形と空間は過剰な意味を帯び始める。
このタイトルはまた、コミュニケーションの不可能性をも暗示している。シュルレアリスムがしばしば集団的な運動として展開されたのに対し、タンギーの絵画は徹底して孤立している。《聾者の耳》に描かれた形象たちは、互いに接触しているようでいて、決して対話しない。それぞれが自身の沈黙の中に閉じこもり、広大な空間の中で孤立している。この孤独は、悲劇的というよりも、冷静で、ほとんど無感情なものとして提示される。
色彩もまた、感情を直接的に喚起することを避けている。タンギーは抑制された色調を用い、過剰なドラマ性を排除する。その結果、画面全体は均質な緊張を保ち、観る者は特定の焦点に安住することができない。視線は彷徨い続け、意味の着地点を見出せないまま、空間の奥へと引き込まれていく。
《聾者の耳》は、シュルレアリスム的な「無意識の表現」という枠組みを超え、感覚そのものの在り方を問い直す作品である。そこでは、夢は語られず、象徴は解釈を拒み、ただ沈黙だけが持続する。タンギーは、世界が意味に満ちているという前提を静かに否定し、意味が剥奪された後にもなお残る感覚の風景を描き出した。
この作品が放つ魅力は、理解を拒む点にこそある。《聾者の耳》は、観る者に解釈の達成を許さない代わりに、長い余韻を残す。そこに広がる無限の空間と沈黙は、時代や文化を超えて、見る者自身の内面と静かに共鳴する。タンギーの絵画は、語ることをやめた世界において、なお視覚が思考し続けることを示しているのである。
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